p75-143
奈須八郎宗重 二代歌川国貞「奈須八郎宗重」

(25)狐、泰親に化けし八郎を誑(たぶら)かす #山鳥の尾を以って化生を知る

 斯(か)くて奈須八郎宗重(なすはちろうむねしげ)は、神鏡の映しを拝借なし、片時もはやく怪異を鎮め領内静謐なさしむべしと

p76-144
いさみ悦び、都を打ち立ち近江路にさしかかり、勢田の橋をうち渡らんとせし時、 跡より一群れの人馬追いかけ、
「それへ至るは那須八郎殿ならずやしばし、しばし!」
と声をかけ走り来る。供の侍ひ壷人かけぬけ来て言ひけるや、
「うは播磨守安倍泰親関白殿下の命を受け、足下に達する旨有りて是なで来たりし之。馬を留めて待たるべし。」
と息を切って演(のべ)るけるにぞ、八郎承はり、何事やらんと泰親が至るを待ってひかえ居れば、程なく至り、互いに馬上にて礼を施し、泰親がいわく、
「足下帰国あるによって、宝鏡の写しを借し玉るの所、公卿の内にいまだしかじか其のよし聞き玉はざる方もあれば、某に取り返し参るべし、かの公卿拝見あって、ふたたび又某し持参し私参らせよ、と命ぜらるる所、殿下の仰せ之。」
「今渡さんこといと安し。しかれども是は足下の手より請けとりし品にもなく、殿下の舘(たち)にて渡されしにもあらず。使庁にて請けとり、即ち某し預かり奉る所の書面をさし上げ置たるを足下に命じ、取り戻さるるは心得がたし。使庁より是迄(これまで)越さるることならずは、一先ず京都へ帰れと??は仰せあらんに、さしかまへなき足下をもって渡せとあるとも、途中において軽々しく得こそ渡さじ。是より引き返し、上京して殿下の館に伺候の上、差し上げ候は、んまら先へ帰ってその旨披露いたさ

p76-145
山鳥の尾図 [八郎、山鳥の尾を携えて、泰親が正体を見る図[参文A]

れよ」
と挨拶なしてふと考へおもひけるは、 「関白殿下の取り成しをもって宝鏡の写しを預け給わる。四海の政事を執おこなひ、恵みふかき君子として渡したり、又取り返したり。童子の戯れにひとしき斗(はか)らひの有るべきや。殿下の一言は諸人のかがみしかれば、これもかの悪狐めが通力自在の術をもって、我が預かりし宝鏡を奪ひとらんと計るならめ。されども怪異化生の障碍(しょうげ)をのぞくと申し達されし上は、たとへ悪狐不測の神通を得るともいかで神鏡のうつしに近寄ることならんや。それを奪ひとらんとすること功経(こうへ)し身も畜生なればそれまでには心付けざるや。まさしく是は泰親に化けし古狐なるべし。幸いなるかな、昨日泰親親切をもって我にあたへし山鳥の尾の符13揃ひしにて、あやしく思ふものはこれを輪になし覗きみれば、正体見ゆると教へたるを携へかへりて懐中せし是を出して密かに見べし、」
と教えしごとくなし見れば、面は則(すなは)ち狐なり。憎きやつかな、今一度神鏡の写しこれより再び上京せんも従ひし、家来も労して往来なすこと叶ふまじ。足下途中の労をいとひ給はず。ふたたび赴き渡し給へ。いざ呈し奉らんと馬より下れば、泰親も同じく下馬して請け取るべし、と近寄る時は八郎、懐中より鈎取り出しをさめし唐櫃ひらけば、泰親なんぞ改め渡

p77-146
八郎、泰親に化けし狐を斬る図 [八郎、泰親に化けし狐を斬る図[参文A]

さるるに及ぶべきや。
「櫃のまま渡されよかし」
と後へしさりて挨拶す。八郎はさればここと心にうなづき、 「いやとよ櫃はそれがし新調せし所なり。此の中箱のみにて使庁より受け取りたれば、其の通りにして呈せんと思ふ之、」
といへば泰親、
「大切の御品なれば、受け取らんも今更いかがと思ふ之。足下同道なすべきまま直ぐに呈せられんこそしかるべし。」
と俄かに変わりし詞と面色に、
「さも有るべし」
と八郎は帯せし刀抜く手も見せず、一討ちと切り付くれば、通力自在を得し古狐、飛びかわして行方も見へず、かき消すごとくうせにけり。
 八郎は途中の事ながら此の趣きをいさいにしたため、関白殿下へ申し上げんと、長臣・秦野弾正少弼方(はたのだんしょうしょうのひつかた)へ使いをもって呈上し、いそぎ故郷に到着し、家内に至れば、妻は元のごとく壷人となり、百姓の害せられ失せる事も止みける故、たちまち領内安穏静謐しけり。
実(げ)に斯くあるべき、一天四海を知らしめす、万丈の君の御恵み、有りがたくこそ覚えけり。


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