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八郎が妻、俄かに二人となる図 「八郎が妻、俄かに二人となる図」

(24)狐、人民を傷(そこな)ふ #八郎上京して返事を奏す



狐、人畜を害し喰ふ図 [狐、人畜を害し喰ふ図[参文A]

 扨も九尾の狐は今上を御悩ならしめ、すでに王威を傾けんとはかりし所、炳然(へいぜん)たる神国の大日本、いかで魔魅(まみ)の力にはかり得ん。
誠忠義臣(せいちゅうぎしん)・播磨守(はりまのかみ)安倍泰親(あべのやすちか)、易道の功をもって見顕(みあらわ)し、心力(しんりき)の冥助(みょうじょ)を得て、禁庭を遂(おふ)によって、下野国奈須野(しもつけのくになすの)に逃れ去って身を潜めけるが、唐・天竺みな賢士名臣の為に遂(おは)れ、又行くべき方もなくてや、方術(てだて)をかへて、往来の人を取り喰らひ、是よりは此の原にかくれて老若男女のきらひなく往来の旅人、又は遠近の民家に入りて、昼夜の差別なく、あるひは害し、あるひは喰らはずして隠し、日々に害せらるる人、いくばくの限りしられず。其の心斯くして、人民の胤を絶やさんとするにあり。今は領主といへども厭(いとひ)なく、奈須八郎宗重が家来、婦女妻子ゆへなく失せるもの多し。是、かの悪狐の所為也と思へどすべきやうもなく、八郎歯がみをなし、無念と怒れども報はん計策(けいさく)浮かまず、一入奇怪やる方なし時に八郎領分の民百姓ども最初の程は、一人か二人た

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またまに見へざるものの訴へありけるに、近頃に至りては一日に20人30人の届け絶える間なく、父母或いは妻子兄弟嫁婿。是が見へず、彼がうせしと日毎の注進櫛の歯を挽くに似たり。八郎是を聞いて領内のものだに人数かくのごとし。往来の旅人、他国また領分ちがひのものにて届けなきは幾人なるべきや、はかりしられず。
那須八郎が領分にて人うせし殺害されし、或いは化生に取り喰われしなどなど、他領の評判を請けんも心外千万、誠に那須家の瑕瑾(かきん)也。これみな金毛九尾白面の畜生の所為にて、汚名を受けん口惜しさ。
 然れども施す計略なく無念いわんかたもなければ、ふたたび奈須の原を多勢にて水も漏らさず取り囲み、隅々までも狩尽くし、余の獣には目をかけまじ。たとへ狐なりとても、なみなみのかたちならば殺すは入らざる罪作り。
「毛色黄金のごとく尾九ツあって、面(つら)の白き狐と見ば、いかやすにも取り寄ってはたらき、一分の功を争わず射るとも突くとも斬るとも得手に随(したが)ひ亡ぼすべし、」
と働きの心得まで申し付け、さしも広き奈須野の原を大人数にて取り巻きつつ、列子の内には親兄弟妻子の敵(かたき)の狐なれば、逃がすまじ余すまじ、と勢ひこんでむかふもの多ければ、いかなる魔性もたまるべきとは見へざりけり。
 されども、狩出さるるは唯、猪、鹿、猿、兎のみ。たまたま出るは痩せ狐。2夜3日隙間もなく狩暮らせども、いづくへ行きけん。彼の悪狐はかげも見経ず、山の奥のく

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八郎、二度野干狩して狐穴を穿つ図 [八郎、二度(ふたたび)野干(やかん)狩して狐穴を穿つ図[参文A]

ぼみ穴とおぼしき所に山のごとく人の骨を積み、中には咽喉笛(のどぶえ)あるひは急所のみ疵つけ噛み殺していまだくらはず積み上げし其の屍は数知れず。八郎主従、是を見て大いに驚き、
「この様子にては、国中はさて置き隣国の人を絶やさん。まづこの穴こそ住みかならん。いざ堀穿(ほりうが)て」 と下知しければ、大勢打ち寄りて掘り返しけれども、唯無益に骨折り、気根を尽くしたるのみにて、狐はあらず。八郎宗重せんかたなく狩をとどめて館に帰り、様々工夫を巡らせども、自力にをよばず、此のうへは京都へ注進し、胎児の御勢を願ふべし。されども使ひをもって奏せんは、等閑(なおざり)に似たれば。自身はせ上りて、次第一々奏聞せんと旅の用意を整へ、すでに出立なすべしと思ひし所。
八郎が妻、二人となる図 [八郎が妻、二人となる図[参文A]

 八郎が妻、俄(にわか)に両人になり、いづれを実、いづれを虚なりと見分けがたく、顔色風俗音声より衣類物事何一つ違ふことなく是もかの古狐のなすわざならん。ぜひ一人は狐の化けしに紛れなければ、見ならはし括りあげ、思ふままに殺し鬱憤を散ぜんものと、さまざま心を作れども、見分けること成りがたく、はからずも余儀なく、出立を延引しける。其の内も領分の失せ、人の訴へ日々止む時なし。
 八郎、屹度(きっと)思惟(しゆい)[浄土の荘厳を明らかに見ること]しいかんかしても、妻一人に諸人の歎きはかへがたし。いづれ上京してかかる変事を訴ふべし、と奈須より都へ150余里の旅路、夜を日につぎいそぎし程に、7日目の昼時頃、京着して、関白殿下の館に伺候(しこう)し、長臣に対面をこ

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ひ、かようかようの変事によって注進仕る。ならびに退治の御勢(ごせい)を下し賜ふやうに願はんとじょうきょうせしよし演説しければ、秦弾正少弼量満(はたのだんしょうのしょう・ひつかづみつ)、是を承りとどけ殿下へ申し上げるに、殿下忠実公御嫡子・内大臣・忠通(ただみち)公御父子、聞こし召され、使の庁よりお沙汰あるべき間、旅館にひかへ有るべしと御挨拶ありければ、八郎宗重、畏(かしこ)まって退散す。
公卿、泰親を召して評議の図 [公卿、泰親を召して評議の図[参文A]

 これより殿下参内あって、八郎が注進のむね公卿詮議ましましける所、播磨守泰親(はりまのかみやすちか)、行法(ぎょうほう)によって正体を顕し去りたる悪狐なれば、此の上も法をもって退治の仕方あるべきや。かれを召して異見をも問れ然るべし、となって泰親を召され、此の事を尋ね給ヘば、しばし考へて申し上げるは、奈須八郎が妻、両人に成りしは、一人は狐に究(きはま)れども、見分ることかたかるべし。人民助けの御慈悲なれば、神宝のうち、宝剣のうつし一振り八咫(やた)の御鏡のうつし一面のうちいづれなりとも、八郎にかしあたへ給わりなば、一人の怪婦(かいふ)亡びんこと掌をさすがごとし。悪狐退治の事は容易ならず、是は英雄の武士を選びて勅有り、大勢にて借り出し害せしむるの外はあらず。されども神通自在の古狐、雲を呼び空を翔るの術あるなれば、地を狩るのみ。さては得んこと叶はず。某し、かしこに赴き、法を修し、飛行を留め、百里の原をも狭めて、三里四方を限り、外へ走らざるやうに行ふべし。さすれば退治安かるべし。彼、虚空飛行の狐としらば、清涼殿に祈りし砌(みぎり)、飛

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八郎、神鏡を携えて帰国する図 [八郎、神鏡を携えて帰国する図[参文A]

行を封禁して害せば、当時のごとく悪行はさせまじきものを心外なりし」
と演(のべ)けるにぞ、公卿
「此れよし」
聞(きこ)し召し、
「泰親が意見にまかせ、諸民救ひの為なれば、軽からざることなれども、神鏡の末のうつし小なるを借させ給わん」
と評議一決し、検非違使判官(けびいしはんがん)・河内権守隆房(かわちごんのかみたかふさ)を召して此の事を命ぜられ。
 扨(さて)それより殿下の館に八郎を召し、長臣・弾正少弼量満(だんしょうのしょう・ひつかづみつ)面会し、 「此の度貴殿願ひによって、宝鏡の御写しをかし給わる。条是を携へ、かへりなば、二人の妻の一方の妖怪は退くべし。其の上、家族に変事なく、領内にある化生も民に害をなすこと叶ふまじ。然るうへ退治の御勢(ごぜい)を下さるべきなれば、安堵有るべし。」
此のよし、使の庁[検非違使]・河内権守隆房、衛門(えいもん)に召して達すべき間、其の意を得らるべし。遠路出京(えんろしゅっきょう)せられしによって、殿下御目通り仰せ付けられ、御料理下し給ふのむね相達し、程なく殿下御逢いあって、御丁寧の御会釈あり、大切の品受け取らば、速やかに帰国すべし、と御暇給わり、やがて河内権守隆房、八郎を召して宝鏡の御写しを相渡せば、八郎は
「一天の御恵み、冥加の仕合せ。」
御礼を申し上げ、旅館に立ち帰り、宝鏡の箱を猶も清浄に新調せし櫃(ひつ)におさめ、四方に注連(しめ)を引き栄(は)え、早々に都を打ち立ちて奈須へさして下りける。


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