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奈須八郎 国芳筆「那須八郎上総助広常」

(23)狐、奈須野の原に逃げ隠る #奈須八郎野干狩



  八郎宗重の家臣図 [八郎宗重の家臣、青き幣を拾ふ図[参文A]

 扨も朝廷より東国筋に触れ流され、青き幣(へい)の留まる所に金毛九尾の悪狐隠れるべければ見当たる所よ

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り早速都へ注進すべしとなりける。
 ここに関東・下野国奈須郡高(しもつけのくになすこおりたか)[栃木県下野市]3500貫(貫=江戸時代以前の通貨の単位)の領主に奈須八郎宗重といふ人あり。此の度の触れについて家臣に命じ、日々領内を見廻らせけるが、奈須野の原に青き幣落ち留まりしを見出しければ、早速此の旨、京都に注進なせし所、さっそくの訴へ神妙なりかねて触れ置くごとく、
「幣の留まる所に悪狐住むべし。かならず害をなさん間、相心得て油断なく用心すべし。此の後あやしきこともあらばなを又都へ注進すべし。早々人数を下さるべき、」
との御沙汰なれば、八郎畏まって了承す。
 ここに於いて、八郎、つらつら思ひけるは怪しきことあり。害をなすことあって、其の後都へ注進なしたりとも、先非(せんぴ)を悔いることあらん。且つは未練の次第なり。
那須野に野干狩の図 [宗重、那須野に野干狩の図[参文A]

 我が領内にかかる悪狐の住み隠るるを聞き捨て置かんことは武備(ぶび)のうすきに似て、害をまだば必ず諸人の批判ものかれまじことなき。以前に
「家来・領分の百姓どもを狩催し、多勢を以って、狐狩りをなすべき之。」
と思ひ立ち、其の旨を触れ示し方、十余理(じゅうより)の奈須野の原を大人数にて取り巻き、太鼓をうちたて、法螺吹き鳴らし、勢子(せこ)の手分けを定め、面々弓槍(ゆみやり)得(え)ものをたずさへさせ、主人・八郎宗重、下知を伝へて取引なし。3日3夜過ぎもあらせず、狩り立てける今と違ひ、この節は武蔵野の原にもつらなる広大の原野なれども、領内をふるってくまくま残る方なく、狩ることなれば、種々の獣類、日々おびただしき獲物なれども、触れられし金毛

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九尾白面の狐はさらに見当たらず。よって其の儘さし置きけるに、程なく右の悪狐の仕業にや。夜な夜な出でて人民をなやまし、あるひは人をとりくらひ、又は往還(おうかん)の巷(ちまた)をまどはし、いろいろの仇をなして郷人(さとびと)のわづらひ大方ならず恐ろし。なんどいふばかりなしと、聞こへける。


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