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玉藻前 「玉藻前祈りの壇に趣く図」

(22)安倍泰親、祈祷を修す #玉藻前帝都を去る



泰親が妻の図 [泰親が妻、関白の館使いする図[参文A]

 播磨守(はりまのかみ)安倍泰親、お咎めにて閉門の身なりといへども、主上御悩を休んじ奉らんと心を砕き、不思議にも加茂明神の神勅(しんちょく)を蒙りければ、やがて妻の菊園(きくその)に詞を申しふくめ、関白忠実公の館へつかはし余儀なき筋にて目通りを乞ひ、書幹を以って申し上げるは
「泰親、せい忠(ちゅう)を存じるの所はからず御咎めを蒙り、慎み罷(まか)り在るといへども、国家の為に昼夜心を労し御悩平癒あらんことをねがひ奉る年頃、尊信し奉る加茂明神より不思議の神勅あって、ご祈祷の修法(しゅうほう)を授かり候こと、かやうかやうの次第なり」
とつぶさに申し上げ、
「自家において法を修せんは恐れ少なからず。願わくは17日の間慎みを勅免(ちょくめん)あって、清涼殿に壇を構へ、祈り奉らば御悩平癒疑ひあるべからず。あはれ吹挙(すいきょ)を蒙り、奏聞を経玉ひ、勅許(ちょくきょ)の詔命(じょうめい)下らば本望、此の上や候べき。ひとへに慈愛を希(こいね)がふと認(したた)めたり。」
関白殿下読み終わり玉ひ。
「泰親忠義の心底(しんい)は我知る所之。いかにも能(とき)にはからひ叡聞に達せん」
と、快く諒承し給ひけるにぞ、此の返事をうけ給わり、泰親、飛びたつ斗(ばかり)にいさみ悦び、
「関白殿諒承の上は、主上に於いてなとかいなみ給ふべき。しかれば御悩も平癒ましまし、寸忠(すんちゅう)[自分の忠義をへりくだっていう語]をたて、玉藻前が正体を明白に顕さしめ、障碍(しょうげ)を除かんこと此の上の本望やあるべき」
と斎戒(さいかい)して、勅免の下るを待ったりし。日あらず勅免を

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清涼殿の図 [清涼殿に泰親祈祷蟇目を修する図[参文A]

蒙り、清涼殿にて御悩平癒の祈りを修すべき旨、宣下なるよし。
 関白殿下へめして達せられけるにぞ、泰親つつしんで御請(おうけ)なし身を清め、服をあらため、庭上(ていじょう)より清涼殿の階下に廻り、護持(ごじ)の祈壇(きだん)をもふけける。
 先ず其の席を清め、四方面の壇にて北を上に取り、其の中央に北辰[北極星]と北斗を勘請(かんじょう)[神仏の来臨を願うこと]し、日月星(にちげつせい)の三光天(さんこうてん)72府神抱卦童子(ふじんいうかどうじ)示卦童郎(すいかろう)の坐28宿を四方に分かって青龍・朱雀・白虎・玄武の旗を建て、東に角亢氐房心尾箕(かくこうていぼうしんびき)、北に斗牛虚女危室壁(とぎゅうきじょしつへき)、西に奎婁胃昴畢觜参(けいろういぼうひつしさん)、南に井鬼柳星張翼軫(せいきりゅうせいちょうよくちん)を列し、日月[太陽と月]、歳星[木星]、螢惑星[火星]、太白星[金星]、辰星[水星]、鎮星[土星]、七曜に、木曜、火曜、土曜、金曜、水曜、羅喉(らこう)[九曜星の1番目]・計斗(けいと)[インド神話の星、昴宿にある星]の九曜(くよう)を祭り、八に64本の小旗をたて、64封を配し、東方に青き幣(ぬさ)、南方に赤き幣、西方に白き幣、北方に黒き幣、中央に黄なる幣を立て、五段にもふけ、上に七重の注連(しめ)を引く。国常立尊(くにとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにさつちのみこと)、豊斟渟命(とよくみぬのみこと)、泥土煮尊(ういじにのみこと)、面足尊(おもだるのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、下に五重の壇をかまへ、 天照大神(あまてらすおおみかみ)忍穂耳命(おしほみみのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、を祭り、春日八幡より八百万神、悉(ことごと)く勘請(かんじょう)なし。四方に四大明王、東に降三世(こうさんせい)、西に大威徳(だいいとく)、南に軍陀利夜叉(ぐんだりやしゃ)、北方に金剛夜叉(こんごうやしゃ)、四方の隅に四天王、巽に持国天(じこくてん)、坤(ひつじさる)に増長天(ぞうちょうてん)、乾(いぬい)に広目天、艮(うしとら)に多聞天。燈明200、盞外(さんほか)[盃?]に一本体の大灯をてらし、供物を備へ、清浄の伽羅[香。沈香の優良品]をくゆらせ。
 時に今日、保安元庚子[1120]年9月8日。祈祷の開闢(かいびゃく)安倍泰親、吉服清衣冠帯(きっぷくせいいかんたい)して壇に登る。青黄赤白

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玉藻前の図 [玉藻前祈りの儘に趣く図[参文A]

黒の浄衣(じょうえ)を着せしもの五人、其の色の幣をもたせ、黄色なる幣を持ちたるは、泰親が後ろに添い、外四人は四方に立たせ、壇の中央に立てし。黄なる幣は、其の儘台に立て置き、自身、別に白き幣を取り、蟇目(ひきめ)[朴、又は桐製の大形の鏑矢]の弓矢、左右に持たせ、祈りをなすこと七日。
公卿殿上人、かはるがはる相詰め給ふ。其の満願の日にあたって、玉藻前を招待したきよしを、関白殿下によって奏聞(そうもん)を願いけるにぞ、その旨、叡聞を達せらるれば、主上、玉藻前を召して
「朕が病平癒の祈りとして、泰親壇をもふけ、七日の丹精をぬきんじて修する所之。満願の日なれば、汝を請(しょう)じ拝させんことを願ふ。朕に代わり行きて其の体を見よ」
と勅諚あれば、玉藻前異議なく、御請(おうけ)をなしつつ服をあらため、女嬬(にょじゅ)にかしづかれ、清涼殿にあゆみ至る。下には紅梅、上は唐綾蘭(からあやらん)繍錦(しゅうにしき)の五つ襲(かさね)、緋の袴、踏みしたきたけなる黒髪、裾に余り、玉の冠を戴き、しとしとと出たるは天女の来臨ましますやと疑はれ、一たび咲けば城を傾くかと云いし傾城傾国(けいじょうけいこく)の粧(よそお)ひは此の妃にこそと、心をうつさぬ人こそなけれ。玉藻前、至って壇上をつくつくと打ちながめ、泰親に対していふやう
「汝が壇を構えて祈る形相、御悩平癒の為とは見へず。まったくみずからを除(のぞか)んとの呪詛なるべし。よくも帝を謀りまいらせ、清涼殿を汚せし」
と罵りけるにぞ、泰親は何事在りとも言葉を発すまじく思ひけれ共、公卿も聞かるる所にて、
「主上を計り奉りし」
との一言に対せずんば
「暫しなりとも疑ひ

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思いれん」
と答えけるは、
「なんぞ某(なにが)し君を計り奉らん。御悩平癒を祈り奉るのみにて他事なし。例え御身を呪詛することも、某が邪まに御身正しくば、何ぞ感応の有るべきや。御身は御寵愛の嬪妃(ひんひ)たれば主上にかはり祈壇(きだん)を拝し給ふ様に」、
と是まで請い参らすこといへば、玉藻おし返して、
「汝いかほど偽るともみづから是を実(まこと)とせんや。しかも汝の申すごとく、正しき我が身において何の恐れかあらん。去りながら、無益の業に骨を折り、後悔すべきぞ。又もや恥辱をうけ、汝が家の断絶を招かんことの不憫さよ。異見(いけん)を加ふるなり、早々此の祈りは止めよかし」
と怒りのてい見へけるにぞ泰親又申しけるは
「今日満願の祈りもやがておはれば拝せしめん為、奏せし之。君寵(くんちょう)重く蒙る。御身帝の御悩を祈る壇を止めよと妨げらるる心こそいぶかしけれ。例へ御身を呪詛なすとも命をしまず。ともに祈らん心こそ実情とも貞妃(ていひ)とも称すべし。然るをなんぞや巧言(こうげん)をもって故障なさんとは誠に某(それがし)が心と一つには論じがたし。君の御為になす業には、某、家をも命をもかへりみべき後悔なす所存にて。此の祈りを始めんや、御身の業に某が家断絶なさしめんと思はれなば兎も角も心にまかせ計らはれよ」
といへば、玉藻前
「汝、蟇目の修法をもってみづからを呪詛し殺さんとするの外他念なく、いささか御悩平癒の祈りにあらざれば、壇を拝すべきいわれなしといふ。泰親蟇目は帝の御病根
を除く

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野干の図 [玉藻前、野干と化して飛び去る図[参文A]

の行い、幾たび御身と問答するとも同じ事をかしこくも云い曲げらるる斗(ばかり)にて、尽(つく)る期はあるべからず。拝することをいなみ給はば是又勝手次第にいたされよ。某が身の相手になって祈りのおそなはらんは君への不忠恐れなり」
と蟇目の弓矢取り上げれば、此の時、玉藻前は気色を損じ、みづから
「勝手次第を何ぞや。汝が指図に預かるべきや」
と立って逃れ去らんとせしを、泰親もはや詞はかけまじと思へども、
「某し、君の御為に祈祷を修するに寵妃(ちょうひ)たりともなんぞ一言の謝辞なく壇席を蹴立て逃れんとはいかなる失礼ぞや。夫(それ)我が朝は神国之。されば主上守護の尊神(そんしん)凡(およ)そ日本国中大小の神祇(しんぎ)ここに勧請(かんじょう)し、北辰北斗三光天七曜九曜七十二府、抱卦至卦(ほうけしけ)の両尊童、二十八宿六十四卦請じて此処に在(まし)ますれば、人間ならぬ身にして席にあらんこと心なるまじ。譬(たと)へ 御身のがれ去らんとせらるるとも、乾坤(けんこん)すべてここに縮めたり。此の御間を出でんことは叶ふまじ。手柄にも逃れられば、いづれへも立ち去られよ。神国の著しきをしらせん為、かくのごとく申す之。」
と云い捨て、泰親、壇上の白き幣を手に取り、懇情(こんせい)を尽くして祈りける。並み居る諸卿殿上人、手に汗を握り、泰親おもひ切ったる広言かな。玉藻前立ち去ってかやうと奏聞する者ならば、又もやいかなる逆鱗を蒙り、危うき身となるべき。
「此の論のおさまりいかに」
と息をつめてぞいられける。しかるに玉藻前、此の席を退くこと叶いがた
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きや。其の所を動きもせず、壇を見つめて在りける時、泰親指図して、青赤白黒の淨衣(じょうえ)を着させ、其の色の幣を持たせし4人を東西南北の端に退け立たせ、黄色の淨衣を着し黄なる幣をもたせし一人は中央に膝踞(ひざまづ)かせ、自身白き幣をとっておし戴き、呪文を唱へ台に置き、蟇目の弓を取りあげ三度弦を鳴らしける。
不思議や、玉藻前祈りにつれて、顔色土のごとく変じ、眼血走り、わなわなとふるひ出し、悩める体在りけるが、立ち上がって泰親を白眼(にらみ)しその目元、何にたとへん。おそろしさ辰巳(たつみ)[南東]の空に向って一息つけば、不思議なるかな、忽ち魔風吹き落とし来て、晴天俄かにかき曇り、空の色は墨を流せしごとく黒雲覆い、雨篠をつき、雷電霹靂しきりにして白日まのあたり闇暗(あんや)となるけれども、壇には数の燈明赫灼(とうみょうかくしゃく)と輝きたり。今まで美しかりし玉藻前、目前に其の形変じ、金毛九尾白面の狐の姿をあらはし、雲が霧かと見へしものにうち乗って、虚空にのがれ飛び去りける。すかさず泰親追いかけて、雲を目当てに壇に立てし四色の幣を一集に掴みて投げ付けしに、赤黒白三色の幣は地に落ち、青色の幣は雲と共に跡を追ふて行方もしれずなりにけり。公卿をはじめ殿上人有合ふ女官おのおのこれを見て、「玉藻前こそ狐にて人にはあらざりし」と肝を消し、身の毛もよだつ斗(ばかり)之。
 たちまち空晴れ、もとの快晴となれば西陽まだ申の時[夕方四時]には及ばざりけり。此れよし即刻

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関白殿下奏聞あれば、叡聞ましまし、御感斜(ごかんなな)めならず。主上も大いに驚かせ給ふ。不思議や、御悩是より御平癒あって、龍体平常のごとく、御健やかになり給ふにぞ。関白殿下を以って
「泰親が忠節叡感浅からざる所之。」
と詔命(しょうめい)あれば、泰親面目を施し、喜悦の眉をひらき、
「是小臣が功にあらず。加茂の神徳、今上の御威徳による所之。」
と御請けなし。又、関白殿下へ申し上げけるは、
「妖狐が去りし方は、東国ならんと存ずる之。雲と共に跡を追って至りし青き幣は、東方、角亢氐房心尾箕(とうほう、かくこうていぼうしんびき)の七星司どる方位なれば、かの幣の落ちる所に狐とどまり、隠るべし。斯かる悪狐(あくこ)生なるうちは、異なる害をなすべきなれば、其の地の諸人悩まされん。早々東国方へ御触れあって幣の下りしを印として注進すべき旨命ぜられ、然るべしところに於いて、其の段、東国筋の国司領主(こくじりょうしゅ)へ触れ流さる。猶、不日に泰親恩賞を下し給わり、誉れをあらわしけるも、
「是朝恩を忘れず、忠節義信の徳あれば、天道にかなひ、加茂大明神の擁護を蒙り、邪怪(じゃかい)をはらひ、主上の御悩平癒なさしめ奉りしこと前代未聞の手がらなり。」
と四海に家名を輝かせり。

泰親の図 [泰親、恩賞を賜る図[参文A]


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