光明皇后 「光明皇后、身より光を放ちたまふ図」

(21)泰親、恥辱を受ける #加茂大明神託宣



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 時に泰親、面に紅(くれな)いをそそぎ、大いにせき逆(のぼ)せ
「某が、勘文私の旨にあらず。伏義文王周公孔子(ふつぎぶんおうしゅうこうこうし)の先聖(せんせい)弘め玉ひし、易道又我が神国に伝ふる所の数理あって悉く家に奥秘(おうひ)とす。某(それが)し此の道を以って推す所之。又目前の理を語らば、当秋高陽殿に御宴の折から、灯火風に消え、暗仮ければ、御身より光を放ち給ひしよし。抑々(そもそも)正法に不思議なし。我も人も神の御末神体受けし人間の身より光の出(いづ)べきやうやある。是あやしむべきの第一なり。元来、御身は右近将監行綱(うこんしょうげんゆきつな)浪々たる身分のとき清水(きよみず)のかたはらにて錦につつみ捨てありしを拾い上げて育てしと余所ながら?に知れる所之。其の砌(みぎり)より当時に至り、歴々に誰あって子を捨てたりし沙汰もあらず。然れば御身はいかなる者の胤なるや、あやしむべきの第2之。」
と云るを聞いて、玉藻前笑いながら
「泰親は能々(よくよく)愚痴の性質かな。産みの子を棄てる程にて、「我が棄てし子之」と名乗り出(いず)るもののあるべきや。是汝がうとき第一なり。正法に不

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光明皇后の図 [光明皇后身より光を放つの図[参文A]

思議なければ、人の身より光を顕すを以って怪しみ、帝の御悩をみづからが所為とす、汝しらずや。允恭(いんきょう)天皇[19代]の后、衣通姫(そとおりひめ)は総身うるはしく御衣の外まで通る故、衣通と名付け、人皇45代天皇・聖武(しょうむ)天皇の后は藤原淡海(ふじわらのたんかい)公の女(むすめ)にして、御身より光を放ち給ふかゆへ、「光明(こうみょう)」の二字を授けられ、光明皇后とは称し給ふ。
是、帝叡感のあまり御賞美ましまして、勅虚なる重き御号なることは諸人知らざるものなし。

悪鬼の図 [悪鬼輝きて経を読むの図[参文A]

 然れば怪しとするにたらずかかる例もしらざるは汝がうとき第二之。心狭き不易者、何の時、君の御用にたたんと思ふや、いひ聞かすも詮無き。汝とおもへども後学の為に覚えよかし。
道徳堅固の貴僧高僧仏三昧(きそうこうそうぶつざんまい)に入りて修(しゅう)し行ふときは、其の像(かたち)菩薩に変じ、光明かがやくこと又珍しからず。仏菩薩に白毫(びゃくごう)[仏(如来)の眉間のやや上に生えているとされる白く長い毛。右巻きに丸まっており、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)あるとされる。眉間白毫とも]あって、赫光(かくこう)たる光明を放ち給ふ。是を正法(しょうほう)にあらば、邪法なりといふこといまだ?ず。其の昔天竺にて釈迦無尼佛(しゃかむにぶつ)いまだ太子にて悉達(しった)と号(ごう)たりし時、王位をのぞみ玉はず、壇特山(だんとくせん)にわけ登り、 阿羅良(あらら)仙人に仕へて修業し、山を下り給ひし所、経文読誦(きょうもんどくしょう)の声聞こゆ。いまだ釈迦佛世経を知り給はざるゆへ、荊棘(けいきょく)をわけ谷を越へ、彼処にいたり給ふうち、読誦の声も止みけれど、それぞと思しき方を指し行きて見給ひけるに悪鬼ども群れ居たり。唯今経を読みしは汝等なりしや。今又我に読誦して聞かせよと頼み給へば答へていわく、我々此の程食物

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異形の図 [異形虚空を飛行の図[参文A]

く飢えに及んで、言語(ものいひ)がたし人間の肉を少しにても与え給へ、と釈迦是を聞こし召して、則(すなわ)ちみづから腿を裁ち切り、其の肉を給わりければ、鬼ども悦び食らひ経を読む。釈迦聞いて是を覚え給ふ。今の四句[仏教用語で、存在に関する四種の考察。 有・無・または有または無・有にあらず無にあらず」の意]の文是之。

月界長者 「月界長者」
 さて仏法を弘むべし、となし給へど、月界長者(げっかいちょうじゃ)といへる邪曲非道の者あって事なりがたく何卒彼を仏道に入れんと思ひ、阿羅漢達(あらかんだち)を連れて、毎日長者が門に立ちて報謝(ほうしゃ)[仏事をしてくれた托鉢(たくはつ)僧や巡礼に物やお金を与えること]を乞(こは)るれど、一粒一銭も施さざりし。それにも構わず、毎朝至り給ふ。ある時、瑠璃の鉢に米を入れ見せ参らせし斗(ばかり)にて、ついに与へず。邪見(じゃけん)をふるまひしかかる無道のものを善道(ぜんどう)に引き入れなば、諸人のこらず伏すべし、と思し召し。世にもあらざりし空に飛行(ひぎょう)する異形を見ば死病をうけんと云ひふらせしに、長者が壷人の娘、ふと病に臥し、空飛ぶ鬼女を見けるよし。惣身瘡(そうみかさ)を生じ、既に命危うく見へければ、流石、邪見の長者なれど、子にひかされて心安からずともに煩(わずら)ふ斗(ばかり)之。釈迦、是を聞き給ひ、病気平癒なし得させん、頼みに来たれ、と宣ふにぞ、娘にまよふ親心。邪見非道を忘れはて、おろおろとして願ひに参れば、唯今より7日の内に本復(ほんふく)さすべし。今日より心をなをし、慈悲を施し、三宝(さんぽう)[仏教における仏・法・僧のこと]を信じ、必ず怠ることなかれ、と宣ひけるが、娘にひかされ、一心に慈憐(じれん)をなし、三宝を信ぜしかば7日に満ちる。夕方、娘が病は夢見しごとく、平癒なす。是より、長者仏法の妙(たえ)なることを発明し、釈迦仏の御弟子となって

p67-127
仏法に頑な帰依し、限りなき慈悲者となり、祇園精舎を造営して仏に奉りし。正法(しょうほう)を以って法を弘めんとなし給へども、弘まりがたく正法のすすめの為にかかる不測(ふしぎ)をなし給ひて、ついに仏法を起こし、三国に弘りし。是をもって見る時は、正法に不測(ふしぎ)なしと云ひがたし。みづから身より放つ光も光明皇后の光も釈迦佛、世になき異形のものを虚空に飛行なさしめ、悪病うけさせしもことこそかはれ道理はおなじ。不思議といへども正法之。是にても正法に不思議なしといふや。」
と一言半句誤ることなく、水の流るる弁口(べんこう)に、泰親は惣身(そうみ)冷たき汗を流し、頭を低(た)れて閉口す。玉藻前、声高く
「汝、言ふことあらば速やかに申すべし。答ふべき詞もなくはなしと言ふべし。汝黙然とさしうつむき、口を閉じて在るをいつまで待って居べけんや。」
といわれて、
「此の上申す詞もあらず」
とぞ答へける玉藻前は左(さ)こそあらん。早く退(しりぞ)きてよくよく業(わざ)を励むべしと恥(はずか)しめ、附々(つきづき)に囲饒(いじょう)[周りを取り囲む]され、しづしづと立ち入りける。列座の公卿殿上人、玉藻前の英明智識、舌を巻いてぞ感心す。泰親はれがまsき席に恥辱を受け、赤面ながらすごすごとして退きぬ。帝、此のよし叡聞(えいぶん)ましまし、以(もっ)ての外(ほか)の逆鱗あって、
「泰親、急度(きっと)咎むべし」
との勅命なれば、使(し)の庁[使庁=検非違使庁、犯罪取締役のこと]につたへ、厳しく閉門させられけり。泰親、鬱々として心楽しまず、いづれにしても玉藻前、人間にあらざれば、神力の擁護をもって正体をあらはさせ、大内
p68-128
加茂明神の図 [加茂明神、泰親が僕童に於いて託宣の図[参文A]

を退け、主上の御悩も平癒ましまし、我があやまちなき條(じょう)も明白に分かりなば、逆鱗も解けさせ給ひ、堂上堂下の安心たり。彼此の上御側にあらば主上の身も危うくいかなる災いをか引き出し、一天四海[天下のすべて、全世界の意]の愁へをなすべきもの之、と明け暮れ、是を思へども閉門の身なれば、すべきやうなく、只管(ひたすら)心をなやませける。然るに帝は日増しに御悩重らせ給ふよし。御沙汰ありければ元より誠忠(せいちゅう)の泰親、狂気のごとく足摺りして、
「見よ見よ!玉藻前我が神国に汝が障碍(しょうげ)なさしむべきや。かさねて何時にまみへば我は罪科(とみとが)に所(しょ)せらるる共、飛び懸かりてさし殺すべし。しかる時節にあひがたくんば、諸神の力を以っても禁中に置くべきや」 とののしりけるが、ここに不思議なりしは泰親日頃、意(こころ)に合(かなひ)て側らに仕へける僕童(こわらべ)あり。俄かに正体をうしなひ、物狂はしく見へけるが叫んで曰く、
「いかに泰親。我は日頃汝が察するごとく狐魅(こみ)の化生に疑ひなし。是を退けんには、禁中に蟇目鳴弦(ひきめめいげん)[弓に矢をつがえずに弦を引き音を鳴らす事により気を祓う退魔儀礼]を行ひ、祈祷をなすならば立ち所に、玉藻前、野干(やかん)[仏典に登場する野獣。狡猾な獣]の正体を現して帝都を去るべし。其の時は神力加護の助けを添えん。然らば、主上の病も速やかに平癒あるべし」
と云い終わって暫くして人心地付きたり。泰親大いに驚き、
「是全く加茂大明神の冥助(みょうじょ)[神仏の目に見えない助け。=冥加]ある所なりと感涙肝に銘じ、神慮のめぐみを九拝(きゅうはい)しける。

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