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玉藻前 「豊国筆「玉藻前」

(20)玉藻前、泰親と問答 #玉藻前が弁舌、衆を驚かす



 去程(さるほど)に、主上は泰親が勘文の趣き叡聞(えいぶん)ありといへども、御寵愛あさからざる玉藻前、いかでうらみ仇すべき。先帝より朝恩を蒙る坂部右近将監が娘に相違あらざれば、何を以って怪しむべき。いかが思ふともくるしからずと奏聞(そうもん)の趣き其の儘打ち捨て置かせ給ひ、寵遇(ちょうぐう)[特別に眼をかけること]替ることなきにぞ御悩(おのう)はますます募らせ給ふ。
安倍泰親(あべのやすちか)いかにしても心底(しんてい)すまず、ふたたび易を取って考ふるにはじめのごとく、玉藻前が生碍占卜(しょうげうらかた)の面(おもて)にあきらかにあらわれけるにぞ、又も関白殿下忠実公(かんぱくでんかただざねこう)の館に参りて、
「玉藻を退けなば、主上の御悩(おのう)は立ち所に平癒(へいゆ)ましまさん」
と、ふたたび勘文を奉り、誠忠義心余儀(せいちゅうぎしんよぎ)なく見へければ、殿下ふかく感心あって、此のよし領掌(りょうしょう)し給ひ、参内あって、再び泰親が勘文の趣き奏達(そうたつ)ありしに、君も再応叡聞(さいおうえいぶん)あることなれば、其の儘にも捨てさせられがたく、御悩のうへに震襟(しんきん)[天子の心]をな

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やまし給ふに、玉藻前は昼夜御側をはなれず、大臣奏聞のことある時も物かげに忍びて伺ふゆへ、此のよし、くはしく聞きうけ奏しけるは、
「又も泰親いはれなき事を奏して叡慮をまどはし、妾をさして妖怪化生(ようかいけしょう)がましく讒言(ざんげん)すること何を意恨(いこん)としてかくのごとくなるや。勅許(ちょくきょ)もあるならば泰親を殿上に召し寄せ、みずから問答し、子細を尋ねば明白に分かりて、関白殿下にも彼が虚音(きょいん)をもって、君を疑はしむる所を眼前にしろしめして御心(みこころ)はれん。あはれ是(これ)と聞召(きこしめ)しわけさせられ、勅免(ちょくめん)なし玉れ」
と願ふにぞ、尤(もっと)もに思し召され、この事を許させ給ひ。
「日を定め、殿上へ泰親(やすちか)を召さるべし」
と泰親へも其の勅定(ちょくじょう)下りける。まま泰親大いに悦び、
「玉藻前が妨げを顕(あらわ)すべし」
と当日の至るをおそしと待ちけるが、既に今日、大内(おおうち)に於いて御寵妃(ごちょうひ)玉藻前と対決させられんと有って、泰親を召されける。

泰親めだって参内の図 [泰親めだって参内の図[参文A]

「御台脇門(みだいわきもん)を通行し、武家口より参り控えあるべし。席は、その上にて指図あらん」
との命を達せらる。是、公卿方(くぎょうがた)にも聞かるべきため、主上にも御襖(おふすま)の内にて上聞(じょうぶん)ましまさんとの叡慮(えいりょ)にやと察せられけり。
「君子は其の独りを慎む」[『大学』の格言。君子は他人が見ていない所でもその行いを慎むとするもの]と聖賢(せいけん)の格言述べなる哉(かな)。誠(まこと)に一天萬乗(いってんばんじょう)の主上(しゅじょう)[一天萬乗の主上=天皇、天子]、玉藻前が容貌に愛でさせ玉ひ、君寵浅(くんちょうあさ)からず、まよはせ玉ふによって、かかることも出来(いできた)り、月卿雲客(げっきょううんかく)[貴族、高貴な身分の人]の前にして、
「寵妃(ちょうひ)を出(いだ)し、泰親と直(じか)に問答させ給んは、前代未聞の御事」 と各々額(おのおのひたい)を集めて囁(ささや)きあへる。
 「是、上(かみ)の御慎みう

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すかりしによる所、容色(ようしょく)の美婦(びふ)を愛し政務に怠ラバ、国家に禍ひあらんこと」
声の響きに応ずるが如し、恐るべし恐るべし。
 扨(さて)も泰親(やすちか)は兼ねて達せらるる旨心得て、武家口より参じ控えあれば頓(かね)て蔵人衆曳(くらんどしゅうひ)きて席に通しける上の間には御簾たれ廻し、前の方を巻き上げて鈎簾(こそ)に挑(かか)げ、其の後の方は襖(ふすま)を引きたて、横の御間には、公卿大勢、官位の軽重によって列座し、其の下には殿上人位階(でんじょうびといかい)にしたがって並居たり。御橋の下には北面の侍百司(さむらいひゃくし)の武士群居(ぶしぐんきょ)のてい堂上地下(どうじょうちげ)[朝廷の者、上から下まで]の分隔(ぶんかく)殿上目立って見へにけり。 泰親は一間隔て、末座に平伏す。泰親、禄少(ろくすく)なく、官卑(かんいや)しくて、かかる御席にすすむこと其の例しのあらざる所、末代卜家(まつだいぼくか)の面目たりとかや。
 時に御寵妃玉藻前は、頭に宝冠をいただき、瓔珞荘明照(ようらくまばゆくてり)かがやき[瓔珞=宝石などを連ねて編んだ装身具]、身には羅綾錦繍(らあやきんしゅう)[美しい絹織物]の五つ襲(いつつぎぬ)[五衣=女房装束の下重ねの5枚の衣。唐衣(からぎぬ),表衣(うわぎ)の下,単(ひとえ)の上に着る袿(うちき)]萌たつばかりなるを踏み、女官女嬬(にょかんにょじゅ)あまたにかしづかれ、雲間に出でたる月のごとく、芙蓉の眦(まなじり)緋桃(ひとう)の唇、愛をふくめる面差しはほころびかかる牡丹のごとく取りなり。風俗は東風(こち)たなびく青柳の、いと艶(たおや)かにつに相かね備わり、楊貴妃、西施(せいし)は見ぬ代の唐人(からびと)名におふ我が朝の衣通姫小野小町もいかでかこれに及ぶべきとおのおの見とれて心も空にうちまもれば、蘭?の薫(かおる)はあたりをはらひ魂ひも飛ぶ心地、見とれぬ者はなかりけり。
 玉藻しづしづと御簾の内の中央、褥(しとね)に座し、悠然と権高(けんたか)きさまの皇后のごとく、帝の御覚え浅からざるも、理りとこそ思

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泰親関白忠実公の館へ堪文を持参の図 [泰親関白忠実公の館へ堪文を持参の図[参文A]

はれし安倍泰親も自然と其の威に心屈し、平伏なせし時、玉藻前はるかに潤(うるは)しき声して
「汝、泰親よな。当今(とうこん)御悩に渡らせ給ふの所、これを卜(ぼく)してみずからが業なりと勘文を奉りしは、いかなるいはれありや聞かん」
と訪ねに応じて、泰親頭をあげ、
「日毎に御悩重らせ給ふと承はり、臣として誰が心を安んぜん。某父祖(ぼうふそ)代々伝わる所易卜(えきぼく)をもって理を推し、易占(えきせん)を演(のべ)て数を考ふるに、陰獣(いんじゅう)の長する所、帝王の徳澤(とくたく)を覆ふ其の判断、勘文に逃る所のごとし。よって、奏問を経たる也。」
と答えれば玉藻前、是を聞き
「陰獣とは自らをさしていへるよな誠に取るにもたらぬ愚昧の汝、明らかなる眼はあれども、盲(めくら)に等し人畜を見分けんになんぞ大造(たいぞう)らしく、易数(えきすう)に及ばん御悩もまれ。是、理をもっていはん時は天に風雲の変を生じ、地に又、水火(すいか)の怪しみあり。天地すらかくのごとし。いはんや人間に於いてをや不時の病(やまい)死喪(しそう)の禍(わざわ)ひ一天の君たりとも何ぞや是をのがるべき無常の風誘ひ来たって吹き消る。露の命も皆定まれる因縁之。尊卑によらず時至って病み、時来て治(ち)す死生(しせい)命有り。皆天数のしからしむる所何ぞ是を怪しまん。しかるを主上の御悩を以ってみずからが所為(しわざ)とはいかなる謂れぞ。夫(それ)易数は河国の数に起こり、洪範(こうはん)は洛書(らくしょ)の数にもとづき未然の吉凶悔吝(きっきょうかいりん)をしる。みなこれ天地の理をおして人事を断るものにして鬼神も及ぶべからざる所を知ると日月の明らかなるがごとし。然るに今日の理にくらくいかんぞ易数を?ん。」
さてさて粗相なる卜者かなど完爾(にっこ)とわらへは満座の諸卿殿上人、玉藻か逃れるところ理にあたってしかも弁舌爽やかなるを感嘆し、泰親が答え、いかにと固唾を呑んでひかえらる。


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