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華陽夫人、正体を顕し飛び去る図『華陽夫人、正体を顕し飛び去る図』

(12)耆婆(ぎば)、金鳳山に薬王樹を得る #華陽、正体を顕し塚の神の跡を留む



耆婆、金鳳山に登る図 [耆婆、金鳳山に登る図[参文A]

 耆婆は旅の用意も整ひて既(そこ)に、発足するに至っておもひけるは君忠の為とはいへども咎の身にて千里の外に忍び出んこと天へ対して心底もすまずと夜陰に及びて密かに大臣・孫晏が館へ伺候し、対面のうへ、有りつる霊夢の次第つつまず物語り、
「慎みの中、旅行せんこと遠慮なきにあらず」
と心底を述べて願ひければ、孫晏聞きて深き忠節を感じ、猶同列の面々へは
「某宜しく演説すべし。尤も病気と披露し置くべければ、早々忠義を顕し、本望を達せられば本官にも復すべき之」
と会釈を蒙り、耆婆は大いに悦び、我家へ帰り、夜をこめて其の儘出立て、金鳳山へと心ざしけるが、やうやう日を経て其の地におもむき、山の麓にさしかかり見てあれば、松柏しんしんと茂りて天を隠してほの暗く、落ち葉は積んで道もなければ、唯山上に向ひ、柴を分けつつ攀(よ)じ登りけるに、険峻(けんしゅん)たる岩石聳へ、崔々(せつせつ)として削れるごとく、鳥も翔けりがたきありさま。葛に取り付き藤を力草に辛ふして登りのぼり、仰ぎ見れ

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杣吏、薬王樹を伐る図 [杣吏(そま)、薬王樹を伐る図[参文A]

ば峨々(がが)たる云峰剣の如くそそり立ち、障壁屏風を建てるごとく雲らんように帯し霧、九折を覆い包み、低望(ていぼう)すれば遥々たる幽谷足下に遠く、白露積もって渓泉(けいせん)と成り、蔓扨(たんじん)に降りて岩に⑩⑩ぐ魂ひを飛ばす難所を凌ぎ超えて、絶頂にあがり、
「こここそ金鳳山ならん」
と思へとも人倫たえて問ふべき人もなく、ここに一つの大樹あるを仰ぎみれば、杣夫(そま)登りて、斧を以って枝を打つ。耆婆
「是ぞ天神の助け、導き給ふならん。」
と声を上げ、
「金鳳山は何国(いずく)なりや」
と問ひければ、
「則ちここなり」
と云う。耆婆再び問ふ。
「此の山に野狐樹といへる樹ありと聞く。本名は薬王樹といふよし。何(いづ)れにあるや。ねがはくは教え給れ。」
といふ時、杣夫
「此の我、枝伐木(えだうつき)こそ野狐樹とも薬王樹とも名付ける木なり。」
耆婆、
「然らば何卒一枝を我に恵み得させ給へ。」
と頼みければ、心安くも肯いて大いなる枝を伐って下へ落とし、其の身も下り梢を薙ぎすて一尺ばかりになして与えければ、耆婆は是をおしいただき、
「此のうへもなき大恩謝するに詞あらず」
と低頭をなして拝しける。
 然るに耆婆は一升の酒を携え至りしに、険路の疲れに残りなく飲み尽くせば、 「慰謝せん品もなきことの残り多さよ」
といへば、杣夫がいはく
「汝も酒を好めるや。我も亦、賞翫(しょうがん)[良いものを珍重すること]して持たせたり。辞せず飲むべしとて盃を取り出し、小瓢(こびょう)の酒を我も飲み、耆婆にも与えて、両人ともに酔いを尽くせども、酒の尽くることなく其の味わい甘美なる事たとふるものなし。無双の佳酒を吃(きっ)し、ちょうど山坂の疲れ

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耆婆、妙樹を得て三大臣と密談の図 [耆婆、妙樹を得て三大臣と密談の図[参文A]

ものぞき、願ふ所の妙樹をたやすく得たりし安慮の気も休みてや酔いに便りしはからず一睡せしが、目覚めてみれば、杣夫もあらず、美酒腹に満ちて空腹にもあらず、草臥れも忘れ、何となく心健やかなれば、誠に是と天神の冥助(めうじょ)をたれ給ふ所と心魂に徹し、有りがたく覚へ、九拝なし片時も早く帰らんと薬王樹を携へて急ぐほどに往反(おうへん)九日にして我が家に帰着し、かの薬王樹を程よく伐って箱に納めて、大臣・孫晏の館に持参なして、霊夢空しからざる始末を物語ければ、孫晏悦びて、雄明君・鷓岳叉(ゆうめいくん・しゃがくしゃ)をも招き、耆婆が誠忠の次第を物語り、華陽を除くべき一件を密かに熟談に及び、おのおのわかれ帰りける。
 かくて大臣・雄明君・孫晏・鷓岳叉出仕なして、班足太子にまみへ、密かに言上しけるは、
「耆婆逼塞してつつしみ、罷在(まかりあ)るといへども、忠義の心、間断なくひたすらねがひ奉る一余あり。其の故は、君御幼年より近来まで道を守り給ふこと正しく、悉達太子の説法の趣をも信じ給ひし愛憐慈悲の恵みをたれ給ひ、国中こぞって帰伏し奉るに因って、遠からず御譲位も定まるの所に華陽夫人を得給ひしより、御心猛(みこころたけ)く、殺伐を好ませられ、罪なき諸民を害し給ふによって、忠義の臣、君の御為と諫言を奉れば誅せられ、余つさへ、大臣・棄叉がごときもの殿中に刑せらる。今に至っては、群臣、誅を怖れて諌めるものなく、国民恨みを含み、国家の傾き乱れんこと近きにあり。御父帝に対し御不孝此のうへ有るべ

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からず。御譲位あるとも、いかで一日も国家治まるべき。斯くまで非道不直の御所業、いかなる天魔の見入りしや、と同列相議して「華陽夫人を暫く預かり奉らん」と願へども許し給はず、其の内華陽夫人病によって耆婆に診脈を命ぜられ、伺ひたるに、さればこの脈体人間にあらず思ふに野狐の変化ならんと驚き、君を御大事と密かに言上せば、それとなく退け給んこと、存じの外御咎めを蒙り、そのうへ問題の命を蒙りしに、彼の夫人、神弁不測にして、夫人の及ぶべからざる所を知る。是全く妖怪のゆへなり。
 然るに耆婆は、ますます君の御為身を捨てても数代の鴻恩(こうおん)に報ひ奉らんに、名に応(お)ふ摩竭陀国の天神の廟を遥かに拝し、17日潔斎をなして、国家安穏怨敵悉滅悪魔降伏変化退散の祈り丹精をこらし天帝神に誓ひをかけまくも、耆婆が誠忠をあはれみ給ひ。満願の夜の夢に一物を神より与へ給ふと見て夢覚めれば不思議なるかな、授け給ひし一物其の儘有し、是を化生に見せしむれば、忽ち怖れ、正体を顕すこと神勅あり。まさなりし次第を臣等に吹聴なし、願わくば彼の一物を華陽夫人に見せまいらせば、君にも正真の姿をも御覧じ伺ひし、脈にも違はず御疑ひも晴れさせ奉ん」、
と歎き訴ふる所、臣等も又其の忠心を感じて御聞きに達する之。
「まげて御許容あらせ給ヘ」
と申し上げけるに太子
「此の由、聞こし召し。又も替らぬ耆婆の妄言。汝らは大臣として重罪人の云う所を執(しっ)す

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るは心得がたき次第之。いはんや問答の節、耆婆が罪科は明白に顕れ、汝らも知る所也。出仕をとどめし耆婆此の後いかなることを願ふとも堅く取り上げべがらず」
との仰せを押し返し、大臣三人、さまざま利害を説き、いなみ給ふ事ならざるやうに言上しければ、さしも大臣三人の諌めもだしがたく、
「然らば汝らが意(こころ)に応ずべし。此の上耆婆が詞で相違あらば、即座に誅し、汝らとても出仕をとどむべし。」
との命によって、三大臣は早速耆婆へ使ひをもって此のよしを通達しけり。太子は華陽夫人にしかじかのむねを言聞かせ給へば、華陽、笑みをふくみ
「彼、何ぞ我が身を知らず。罪をかさぬる願ひをなすことの不憫さよ。今日は極めて誅せられん」
と悦びて待ち居たり。耆婆は使者を受け給り、飛び立つばかり。彼の一物を箱に納めて取りもたせいさみにいさんで出仕すれば、大臣その旨を奏しけるに、
「今日は誰人の諫めといふとも誅戮をゆるすべからず」と厳命あって耆婆を呼び出し給ふを、三大臣も座に列して、様子いかがと見渡せば、捕子剣子(とりこ・きりこ)の役人、耆婆が左右に立ち回り、「すわ」といはば、搦(からめ)んとにらみつめて扣(つか)へしは危うかりける有様なり。華陽は、例の如く立ち出で言葉を発し、
「先達っての問答に恥じもせず、能(よく)も出仕せり」
とあざ笑へば、耆婆は
「何事をいはん。心なくただ一目御覧に備へたきものありて携へたり。くるしからずば差し出さん」
と云いけるにぞ、華陽うちほほえみ、
「汝又も艶書ならずや。今日は見た

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る上にはゆるさじ。疾々(とくとく)出せよ」
と有りけるに、かの薬王樹を取り出して華陽の面にさしつくれば、こはふしぎや。今まで容顔美麗、たぐひなかりし華陽なるに、たちまち身をふるはし、叫ぶと見へしが、忽ち金毛白面九尾の狐と成って
「ああら口惜しや。天竺一閻魔界となさんと尽くせし、丹誠(たんせい)も無になせし。これ残念なれ。今53日おそくんば班足太子も害すべきに、無念このうへなし」
と風をよび雲を起こし雨を降らし、ひらめく稲妻に乗じ、つつ雲井はるかにいずくともなく飛び去りしに、太子をはじめ奉り、大臣諸官、空打ちながめ、
「ふしぎや。あやうき化生の害をのがれ給ひしは、世にもめづらしき。面は白く、総身金毛にて尾九つあるはいうにも、年ふる悪狐なるべし」
と各々舌を巻いてぞおそれける。
 されば太子は酔(すい)るがごとく、醒(さむ)るがごとく、忙々(そうそう)として夢の心地して黙然と手を拱(こまね)き居給ひしが、生得聡明賢智なれば、忽ち悟り給ひ、
「是まで華陽が色香に迷ひ、魔魅変化の障碍(しょうがい)と心付きざるこそ愚かなれ。」
と、大臣諸官各々を召し出して慙愧懺悔ましましつつ、
「我誤って諌みを拒み、邪道殺伐の行跡を成す。恥悔いるに、かへらず不孝の罪恐るれども及ばず。耆婆なくば、国を失ひ、黄泉(こうせん)の鬼となるべきに」
と感激なさせ、三大臣其の外にも諌めを奉りし諸官へ官位一級を加へ賞し給ひ、耆婆は本官に復し、賢学侯大医統正(けんがくこうだいいいとうせい)たるうへ、教道(きょうどう)一階を加えさせ給ふ。
 棄叉を始め、非命に死したるものは

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其の子孫におもく俸禄を賜り、御父帝へ至って恐れ入りて誤りを悔い給ひ、太子は以前の正道に復させ給ふにぞ、諸民喜悦の眉をひらき、国家安穏に万々歳を称へける。
 一説に班足太子の御父、后と共に南殿に春の花を賞し給ふ所に何国(いずく)ともなく唐獅子飛び来たり。大夫人を加へ[咥え]、山奥深く遁れさる。諸臣驚きて追い至れども、行く末なし。王も悲嘆し給ふこと限りなしといへども、詮方もなかりしに、翌年后の一周忌にあたり、獅子の背に夫人を負うて来たり。庭上におろし、去る大王一たびは驚き、一たびは悦び、君臣奇異の思ひをなす。后は後太子を産し給ふに、獅子の胤なる故、両足にうづまく斑(まだら)の毛あり。よって「班足太子」と称すと。
華陽夫人、正体を顕し飛び去る図 [華陽夫人、正体を顕し飛び去る図[参文A]

三国妖狐伝 北斎『三国妖狐伝』

悪狐華陽夫人顕 国芳『悪狐華陽夫人顕』

「華陽夫人老狐の本形を顕し東天に飛去る」 国芳『三国妖狐図会』より「華陽夫人老狐の本形を顕し東天に飛去る」

 かくて障碍をなせし妖怪なれば、又後も怨(あだ)あらんことをおそれ、太子の宮廷にて、華陽夫人をもとめ得たりし紅葉の茂みに一つの塚を築き、かの霊を神に崇めて是を塚の神と称しけり。華陽が正体、金毛白面九尾の狐の、ふたたび唐土へ立ち戻り、障碍をなさんと天竺に忍び隠れて時節を待ち、ここに耆婆が忠義の徳によって、かの薬王樹を得て後、此の木をもって人間をうつし見れば、五臓六腑病の症、軽重悉く分明に知るる故、是を以って配剤なす故、薬的中して効験(こうげん)あらずといふことなし。

   ここに於いて、いよいよ其の術国中に聞こえて、遠く唐・日本までも高名たり。篤実信義誠忠なるより、天道冥助の徳あって万事に叶ふも理(ことわり)之。



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