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班足太子怪なぐさむ国芳『三国妖狐図会』より
「華陽夫人、采姫が眼を射て班足太子を慰む」[本文にこの場面はありません]

(11)華陽夫人、耆婆(ぎば)と医学を論ず #耆婆、霊夢を蒙る




 華陽夫人、今日殿中にて耆婆との論談、みな人おもひよらざりし。華陽の詞、いつの間にかは手便(たより)をたのみ語らひて、艶書を贈れるぞや辱められて言句もなく、見ぬ恋にあこがれしといへるも、余りといへば遠慮もあらざる。心より近き患(うれ)へを思ひなき耆婆にはあらねども、誠に恋は所存の外にこそあれされども、無理ともいひがたき華陽の姿、見ぬ恋さへ心を尽くし、見ては猶更

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心動かぬ人もあらじ。あわれ後座の論に華陽勝れよかしと、容色美麗なるに愛で、贔屓に思ふ諸官の心も時に取っての恋なりけりや。
 やすぎてふたたび華陽、立出れば諸官もおのおの着座し、耆婆も以前の席にすすむ時、華陽夫人、耆婆にむかひ
「汝先に妾が脈を診しきわめて、畜生之、と云し其の子細、いかに」
と尋ねありければ、耆婆答えて
「夫(それ)脈は一呼(いくいき)に二動、一呼(いくいき)にも又二動潤ずる。大息(だいそく)に又一動あってすべて一息(いっそく)に五動にして過不及なく、是を平脈とす。病ある時は過不及あり。六脈の過不及によって、其の病の本源いづれの府にあるを知る。
 然るに畜生の脈に其の体人にあらず、何ぞ等しかるべきや。是をもってこれを知り、医道において何ぞ是を明らめざらん。脈を診じ、病を知るは医の専要(せんよう)とする所脈にて、諸病を探り、配剤に薬を施して其の病を治す脈の浮沈細数備(ふちんさいすうそなは)らざる所あれば、人間ならざること明らけし」
と。華陽夫人の曰く、
「汝が詞さることなれども、汝一人医にあらしものあらず。汝弁舌利口にてよくも詞をまげて妾を拒まんとなす。是全く先にも云うごとく意恨をふくみてのことなるべし。医論に妾が脈を畜類と云いし証拠有りの。汝が業とする道、此の国に起こるや、又、震旦(しんたん=秦国)の黄帝・神農(こうてい・しんのう)[農業を教え、医学の道を教えたとされる神]の道を兼ねたるや」
黄帝・神農 [黄帝・神農]

と詞に応じ、耆婆が曰く
「それ国あれば道あり。抑々(そもそも)此の国は薬師瑠璃

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薬師瑠璃光如来 鋸山日本寺「薬師瑠璃光如来」

光如来をもって医道の祖とす。
 然れ共、広く他の美をとって道を磨けば、震旦の医道も兼ね通ぜずといふことなし。されば医を業とするもの第一に天文易数に達し、第二に薬品の功能を知(?けう)重を弁(わきま)へ、第三に博学にして神聖工巧(しんせいこうこう)ならずんば、さらに医とは称しがたし。これをもってみる時は、医論の広大なる事、何ぞ脈をわかつのみならん。」
と広言すれば、
「汝、知識がましく演(のべ)たりとて、是を問答といふべきや。あらゆる医学を論じ、其の中に汝がいへる妾が脈に応ぜし論ありや。邪を以って正とあらそふ汝博学多才とおもふは愚かなり。腐医の奥意を力にまかせ論じて見よ」
と見下し、いはれて、耆婆も堪へがたく心中甚だ怒り、
「女の身として何ぞ医学を明らむべき。まして況(いわん)や人間ならざる身の程などかは知るべき。其の体より禍ひを出だすならん。さらば論せん。
「先ず三部九侯(さんぶきゅうこう)はいかなることぞ。」
華陽答えて
「寸關尺(すんかんしゃく)を三部とし、此の三部出る所、浮中沈(ふちゅうちん)の三侯一部、三候あり。」
「三々九侯」
といふ耆婆、重ねて 「六脈はいかん[いかに]」
華陽答へて
「左は心肝腎(しんかんじん)を診し、右は肺脾命門(はいひめいもん)、是を六脈とす。」
耆婆、又
「五臓の司る所はいかに」
華陽答へて
「肺は皮毛、心(ひもうしん)は血脈、脾は肌肉、肝は筋爪、腎は歯牙を司とる。」
耆婆、又
「五臓に通じる所はいかん[いかに]」
華陽答へて
「心は舌、肝は眼、肺は鼻、脾は口、腎は耳、前後の二陰に通ずるなり。」
耆婆、
「其の食物の納まり五つはいかん[いかに]」
華陽こたへて
「酸(すい)は肝、苦(にがさ)は心、甘きは脾、辛きは肺、

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鹹(しおからき)は腎に。おさまる色にとりては、青黄赤白黒。五常に取りては仁義礼智信。五行に取りては木火土金水。五体に取りては地水火風空。方角にとりては東西南北中央此の上にも論する子細何にても詳(つまび)らかに答えん」
と云いけるにぞ、耆婆黙然として暫く閉口し、一言半句もなかりけり。華陽夫人又いはく、

三墳碑 [李陽冰三墳碑]

「汝、妾を女とあなどり、むずかしき事を引き出し、妾に恥辱を与えんと巧(たく)みてのことなるべけれども、人間に生れて何ぞ是ほどのことを知らざらん。汝、震旦の道をも兼ね知らずといふことなくんば、汝又、『連山』・『帰蔵』(れんざん・きぞう[伏義・神農・黄帝の三墳によって造られた易の書])の易洪範(えきこうはん)の数より三墳五典九疇八策(さんふんごてんきゅうちゅうはっさく)の旨を問うべし。汝よく詳(つまび)らかに答えをなすべきや。」
といへども耆婆あへて答へもせず忙然(こうぜん)として詞(ことば)なし。華陽、
「かねて汝が広言たのもしく、思ひの外なる庸医(ようい)之、第一に易、第二に薬品、第三に学才、是に通達なさざれば医といはれず、と広言吐きし舌の根いまだ乾くまじ。汝みずから長(たけ)たりと思ひての高慢なるべけれども、何(いかん)ぞ汝に負(まく)べきや医を業とする身のなんぞかく未熟なるや。自今修業を加ふべし。」
と華陽弁舌清くさわやかなることとうとうとして流るる泉の如し。耆婆は鬱陶(うっとう)としてさしうつむき、吐息をつくより外はなし。並み居る諸官一同に華陽の博識多才を感ずる計(ばかり)之。
 耆婆は面目を失ひて
「しかと人間ならざる脈を見極めけれども、是を印となすべき手段なきによって人事はしるまじ」
といひかけし

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耆婆、ふたたび面目を失ひ、警護を以って家に送らるる図 [耆婆、ふたたび面目を失ひ、警護を以って家に送らるる図[参文A]

論にはいひすくめられ、恥辱をうけ此うへ咎めをまつばかりなれば大臣・孫晏が方を見返りなせし有様之。
 班足太子は両人の問答を陰にて聞かせ玉んと、忍びてまします其の席には側近の侍臣雇従して始終の様子を詳らかに聞き給ひしが、耆婆が粗忽を怒らせ給ひ、
「筋なく華陽をうらみ、おのれが不義を覆わんと巧みて恥辱を与ふべし、と悪意を企つる大不忠。速やかに誅すべし」
と命ぜられしに、大臣・孫晏遮って助命を乞ふによって死罪を宥め、
「厳しく逼塞して、重ねて出仕すべからず」
と早々玉殿を退けられ、警固を⑩へて送り出さるるは重罪人に等しく見えけり。されば耆婆は門戸を閉じて禁則し、慎みありしが、心中にはれがましき問答に華陽夫人に論じ伏せられ、諸官余多の中において恥辱をとりしこと無念と思へども、
「是は身一分の瑕瑾(かきん[傷、怪我])怪しき。華陽を除かんとおもふは国家の為、君の為、天道の助けを以って忠義を立てさせ給ヘべし。」
と摩竭陀国(まかだこく)の天神の廟を遥拝し、祈誓(きせい)をなして17日沐浴潔斎(もくよくけっさい)し、昼夜寝ず丹誠をこらして一心に念じけるに、天道、是を憐れみ玉ひ満ずる。
夜思はず疲れてまどろみける所に、夢ともなく現とも覚えず、
「汝、国家の為に変化を除き去らんと願はば、是より一千余里、乾の方に金鳳山(きんほうざん)といふ山ありべし。こに至り薬王樹(やくおうじゅ)[枇杷(びわ)の別名]を求むべし。此の木だに得たるならば変化を退けんこと汝が心のままなるべし。されば此の木を斃(おう)し、野狐樹(やこじゅ)といふ。こ

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摩竭陀国の天神、夢枕に立ちす図 [摩竭陀国の天神、夢枕に立ちす図[参文A]

れを変化に見せしむれば、正体顕(しょうたいあらは)れ、立ちさる之」
との告げを蒙り、夢覚めれば天神、納受(のうじゅ)ましまし助け給ふよと心魂にてっし、忝(かたじけな)く尚遥拝なし、浅からざる恵みを感じつつ、耆婆は慎みある身なれ共、ひそかに旅の用意をなして、
「神の教へのごとく金鳳山を尋ね至らん」
と心がけける。

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