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班足太子怪力国芳『三国妖狐図会』より
「南天竺の国王・班足太子怪力」[本文にこの場面はありません]

(10)耆婆(ぎば)、孫晏(そんあん)に会す #華陽夫人、耆婆と問答




華陽、悪事を思案する図 [華陽、悪事を思案する図[参文A]

 扨も耆婆(ぎば)は過ぎつる頃、華陽夫人の病によって太子の召しを蒙り、診脈なせしに斗(はから)ざりき、其の見脈、人間にあらざれば君の御為とひそかにその旨を奏せしに却って不審をこうむり、退出後ほどなく何事もなく門を閉ざして慎むべき、との咎めを受け、逼塞せしが、是全く華陽夫人、太子に讒言なせしゆえなるべし。
罪の次第も達せられず、斯、命ぜらるべきやうやある。いかにも華陽は野狐の化生にして、君をたばかり、怨(あだ)をなさんと斗(はか)るものなるべし。彼を愛でさせてより、其の悪行重なり斬伐を専らにし給ひ、諸民恨みを含むこと限りなければ、国の騒乱とならん事眼前なり。臣として君の大事を偶然として見て居るべきや。たとへ我が身命は絶するとも、国恩を報ぜんため、いかにもして華陽を除くべき手便(たより)もがな、と工夫を凝らし、昼夜心を悩ますといへども、禁足してある身の心の任せず。徒(いたずら)に日を送りけるが此のうへは我が忠心、天の冥利にかなひ運尽きずんば、ひと度華陽に遇ひ義を以って畜生の正体を顕(あらは)し、国家を安んずべしと唯一筋におもひこんで時節をぞ待ちける。
斯くて華陽は日を経て病全快し、今は平常の体にすこやかなりけるが、心中に
「耆婆、先達って診脈し我を畜生也と見立てし事実に相違のあらざれば、末々害になるべきは、彼なり、是を除くものならば其の

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余は心にかくる者なし。今彼と論議し云い伏せて君に怒りをそへ殺害せずんば、いつか安心なるべき。」
と思いしづんで、一つの謀略を工夫し、ある時、班足太子に対し、歎きて訴へけるは、

華陽夫人、太子に説く図 [華陽夫人、太子に説く図[参文A]

「先達て耆婆、妾が脈を取って様々君に妨げて除かんとするは、おのれが密かに艶書を送り、恋慕をなせしを辱しめられ、不義横道を覆わん。巧み第一には、是を罪し、次には妾をさして畜生也、と称へし妄言を咎め、一々に論じ糺(ただ)して明らめたくこそ候へ。耆婆を召し出され妾と問答することを免させ給はば、是を其の節、君の御聞き入れ奉らん。問答の勝負によって、理非明白に罪させ給へ。」
と申し上げれば、太子いちいち聞こし召し、
「彼、先達てすみやかに誅戮すべき所、汝が申す旨に任せ命を延べ置きたり。早速其の意に任さすべし、と許容あって官務に命ぜられ、明日耆婆に出仕なし、兼ねて密かに上達なせしおもむき、華陽が舞いにおいて委細に説解(せつげ)すべし。」
との厳命有りければ、耆婆畏まって了承し、御受けを呈しけるが常々謂ひし如く、
「華陽に対面せんことおもいよらずも調いければ、日頃の念願成就せりと飛び立つ悦び、彼が変化の有様をつぶさにあきらめ、速やかに除き、国家の患いをいらひ、君穏やかに諸民を安んじいささか忠義をあらはさん」
と翌日をこそ待ちたりける。
孫晏、耆婆と対話図 [天竺の大臣・孫晏、耆婆と対話する図[参文A]

 さるにても大臣の中、我親切なる孫晏に此の事を告げ置んものと。其の夜、かの館に立ち越えて、対面をこひ、
「先達ってそれがし華陽の脈

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を診して、太子へ密かに言上なせし趣を物語り、逼塞を命じられしも、全く以って此れ故と存じる所に明日召され、兼ねての旨趣を華陽が前において延解すべし、との使命を蒙るは、定めて彼と問答をなさせ玉ふべしとの御心ならん。何ぞや彼に心を開きすべき。片時も早く彼を除き、国家の患いの元を絶ち、太子の御心を正しくかへし諸民を安堵なさしめば、死すこともいとふべきにあらず。
我もと密かに太子へ言上なさず穏便に彼を退けられべし。」
と思いの外怒りを玉ふ。御心よりかく咎めを蒙り、あらたなる厳命あるうへは誰にかつつむべき、彼(か)の妖婦はかならず人間にあらじ」
と始終つぶさに語りければ、孫晏は一たび驚き、一たびは感じ入り、
「天晴れ忠義の志、頼母しく存るなり。既に棄叉同席よりぬきんでて太子を諌め、誅戮を蒙りしより、某同列と心を合わせいうにもして、彼の夫人を去らんと工夫を凝らす所なり。先ず差当たりての所いうにも心を尽くさるべし。然れども足下身をあやまらんこと甚だ覚束なし。明日、某朝[廷]に出で、太子に謂いし奉り、足下の難儀もあるならば、禍ひを救ふべし。能(よく)も始終の様子を告げらるる事のうれしさよ。随分工夫あって論弁せん事心にかけて出らるべし。論議明白に勝たれなば尚又詞をそへて、某も計らふべき旨あり。」
と挨拶して帰しける。
 斯くて明ければ、耆婆は朝より用意をととのへ、頓(やが)て殿中に伺候し召しによって、出仕せし段を

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華陽夫人、耆婆と問答す図 [華陽夫人、耆婆と問答す図[参文A]

披露して控えあれば、しばらくあって
「只今席へ出べし。華陽夫人先達ってより不審の子細もあれば直に尋ねあらん由の命なり」、
と達しければ、耆婆心中密かに悦び、
「十分に言ひふせて恥辱をあたへ、いずれかの悪婦を退けんもの」
と席に進んで座中を見渡しけるに、大臣・孫晏、雄明君、鷓岳叉をはじめ百官有司おのおの威儀堂々と列座し、班々の百司は末座にならびて控へたり。正面には御簾を半ば巻き上げ褥をかまへしは華陽夫人の座と見へし。
 かくて華陽夫人は、官女あまた前後に雇従せしめ、序々と立ち出るありさま綾羅錦繡(あやらきんしゅう[美しい着物])にまとはれ、容顔のうるわしき花も紅葉もいかでか是におよぶべき目前に天女の降れるかとあやまたる。これに見とれて諸官達、こころも空に恍惚として現の如く打ち守りつつ、いかにも太子のふかきご寵愛実に理(ことはり)なりとおもはれける。かくて華陽夫人はやがて褥に座す。耆婆に対して、
「今日も汝我が脈を診せん心にや」
といひければ、耆婆答へて
「先達ってよく診(うかが)ひ、脈体たしかに知り得たれば存(あ)る。子細あれば其の旨太子へ言上せしうへは、何ぞふたたび診し考えるに及ばんや。」
華陽難じて曰く、
「前に汝脈を以って妾を畜生也と知るよし。君に言上せしと聞き、是は何、伝手(つて)をもとめ妾へ艶書を贈りしに返辞だ似せず、余さへ辱しめて消息を差しもどしたる叶わぬ恋の意趣ばらしに妾をなづけて畜生と称(たと)へ、君に見限ら

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せ、其の後汝が手に入れんとたくらみしものならん。君の禄をはみながら君臣の礼を弁(わきま)へざる不忠不義の徒(いたず)らもの、是のみにても汝一言半句の言ひ訳ありや」
といふ。耆婆は身にも覚えぬ無実のことをいひかけられ驚きあきれ、暫く答へもなさざりければ、列座の諸官も目まや袖引き
「さてもさても」
と物忌みしけるやに。有りて耆婆答へて申しけるは
「先達って診脈に出しまで終に夫人を見たることもなく、何を以って艶書を贈らん。少官少しも覚えなし。証拠もあらば、出さるべし」
といひければ、華陽がいはく、
「身は女といへども心に正しき所を演べし。汝艶書をおくれること其の罪重し、といへども数代の医家にて尤もその道にくはしく、天下に益あるものと聞き及べば、是を損せんこと本意ならずと。汝が家名先祖の功を思ふて憐れみをたれ、此の事を君に告げ奉らず。見ぬ恋に憧るるとの余儀なき文章送りし消息、大かた火中なしたれ共、末の2通か3通かは辱しめの為封のまま返せし時、火中せしを言ひきかせ、以来はふつふつ存し切れよと言伝(ことづて)せし。然らば是ぞと云ふ証拠なきを悟りて、証拠ありやと却って難題をいふこと不届き至極の曲者なり。かかる事の有りともしらば残らず艶書をとどめ置き出さんものを。無念千万、是ほどの事をたくらむ汝と知るならば、艶書を君へさし上げ、其の節を過ごさず、罪せんに残念なれ共、今更せん方なき次第。其の消息の取次ぎせし女の妾は去年身まかり、

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汝と妾と知れる計外(はかりけか)に知れる人なければとても、虚実の論に及ばず、汝が心に糺して知るべし。成せし事をなさぬとあらそひいふは、人情もなき賤しき心底。かかるあさましき身にて、君の愛し給ふ妾に能(よく)も艶書を贈りし大胆至極。汝が脈にて畜生の脈にてあらん」 と散々に罵りけれども、耆婆はいかにも覚えあらねば、唯黙然として無実を蒙り、物をも言はず在ける。華陽夫人は此の時を見て
「よしよし答は出来まじ。彼の畜生の脈の論、工夫なし置け、後に聞かんといひ棄て座を立ち奥へ入りにける。耆婆は歯噛みをなせども、詮方なくみよみよ。脈法医論においては立所にいひすくめ艶書の斗義(けいぎ)も折(くつが)んもの」
と、暫し面目をしのぎて次へ退き、今や華陽出てふたたび医論に及ぶべき時にぞ、と待居ける。
耆婆、再び面目を失ふ [耆婆、再び面目を失ふ[参文A]


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