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耆婆名医・耆婆『ブッダ』手塚治虫より

(09)棄叉忠死(きしゃちゅうし) #名医耆婆(ぎば)、華陽夫人の脈を診ず



[底本では、「きば」と振り仮名がありますが、一般的にインド名「ジーヴァカ」から「ぎば」と呼ばれて居るようなので、「ぎば」で統一します。]
忠臣・棄叉、太子を諌むるの図 [忠臣・棄叉、太子を諌むるの図[参文A]

 去る程に班足太子は華陽夫人の色香に愛で重き御身を尽くされて、彼が心に応ずるを旨とし玉ひ、如何にもして華陽を慰めんと、其の好める所なし玉ずことなかりけるゆへ、近頃は殺伐を好ませ給ひ、罪なき諸臣に咎を課せ、御身持ちを諌むるものあれば、其の詞に無礼と罪をして、即時に斬害せしめ、下民に至っては聊かのことを名として捉へて首を刎ねさせ、すべてを底前に刑罰せしめ、華陽婦人に見せて悦ばしめしか。
のみならず、華陽が勧めによって驕りに長じ、国家の費(つひへ)莫大なれば、父帝も逆鱗あって度々異見なし給へども用い給はざりけるほどに、大臣・棄叉、班足太子に見え、諫言なし奉ること数度におよべども、かえって怒りにふれて不興に遇ひ、後には逢い給わず。棄叉は、ぜひ御心を改めさせ、父帝の心労をも休め奉らんものと。
 ある時、必死を究めて諸臣の慶賀を受けさせ玉ふ日に出仕し、太子の玉ふを待ちて見へ、はげしく理害を以って諌め争ひけるにぞ、太子大いに怒り玉ひ在り合ふ。諸侯に命じて即時に棄叉を斬しむ。其の時、棄叉大音声に
「臣は国家の為に命を落とすこと兼ねて覚悟せし所也。太子不孝不仁の御名は末世に伝へ、千歳に汚れん。願わくは我が死をもって恐れとせず、猶群臣の中に忠あらんものは極諫死争(ごくかんしそう)して国家の滅亡を待つことなかれ」
と莞爾(にっこり)と笑って刀を受けしは潔くこそ見たりける。
ここにおいて雄明君・孫晏・鷓岳叉の三大臣打ち揃いて、其の翌日太子の宮に伺公(しくう)して申し上げ

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けるは
「君その以前は仁義を常とし、慈愛を旨とし玉へば、御父帝も朝廷の政事を委ねさせ、何事によらず正しく議し玉ひけるに、華陽を召されてより後は、唯深閨(ただたんけい)に昼夜の遊宴、朝廷の蔓機は心とし玉ず、専ら非道の振る舞い殺伐を好ませ玉ひ、あまつさへ忠義篤実の大臣・棄叉、罪なくして誅戮せられしは、いかなるいわれに候や。諸官諸民ともに無実の科(とが)を以って刑せられるる者いくばくぞや誠に言語絶せし。御行跡、天魔の所為とぞ覚える。之衆民なくんば、君も立つべからず。忠臣なくんば国も治まるべからず。下恨みを含み、衆の心変せば、国家の動乱に及ばんと必然。御父帝へ対し玉ひ孝の道はかくまでも忘れさせ玉ひしや。しばらく御心の直(すぐ)にならせ玉ふまではあわれ華陽婦人をば臣等に預けさせ給わるべし。御身持ち正しきのちは、追って差し上げ奉らん。既に棄叉が死を見ながら臣等身を顧みず、諫言をなし奉る。是みな国の為、君の御為、之まげて許容なし玉るべし。」
と、理を述べ言葉を尽くし、涙と共に申し上げれば、太子、一々聞こし召し、理に伏して答えもなく黙然として居玉ひしが、
「御簾を垂れよ」
と言い捨て、其の座を立って入り玉ふ。華陽、此の時一間の中にて始終を聞き居たりしが、太子にすがり、涙にむせび、
「今三人の大臣、棄叉が誅せられしを以って、種々(しゅしゅ)君を諌め奉りしうへ、妾をしばらく預けらるべしとは能(よく)も巧みて言い回したるものかな。三人の内、鷓岳叉(しゃがくしゃ)は年も若く美男の聞こえあり。弁舌爽やかにし

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て水の流るるごとし。彼、内々に妾に心を通わしてや、それといわねと恋慕の兆し有りと覚へしに、彼弁口(かれ、べんこう)をもって両人を言いくるめ、一統に諌めがましく申し立て、妾を預かり、其の末はおのれらが手に入れんとの心なるべし。返す返すも彼らへ預け給らんことは口惜しき次第。之もしや彼らが諌めにまかせ預けさせたまふならば、誰人にも命ぜられ、妾が首を刎ねて彼らへ渡し給わるべし。いかなること有るとても外人に肌をふれんことは思ひもよらず」
と歎き沈みて口説けるにぞ、太子のたまわく
「汝心を苦しむることなかれ。彼らいかに云うともいかで汝を預けつかわすべき、さるにても汝が詞のごとくならば、三人ともに言語道断の曲者、死罪をゆるすべからず。なかんづく鷓岳叉こそ捨て置きがたきふるまひ」
と心中に怒りを発し給ひ、
「此の三人も事によせて咎を見出し、誅戮すべし」
とこころにこめて過ぎさせ給ふ。
 今は群臣衆民にいたるまで華陽夫人、国家の害をなすを疎み、憎まぬものもなかりけり。
然るに、華陽、不闘病を得て臥したりが、日を追って穀食減(こくじきげん)し、肌肉疲痩(きにくひそう)せしかば、太子大いに心を痛め、鬱々として楽しみ給わず、打ちふし寝所へ入らせ給ひ、容態を尋ね玉ひ、典薬(てんやく)の官嘉詳子智叉均(かんかしょうしちしゃきん)、其の外数輩の大医を召して脈を診(こころ)みさせ、服薬の配剤を議論せしめ、衆議について療養を尽くさせ給へども、其の効、験(し)さらにみへず、快気の体もあらざれば、太子ふかく気を悩ませ給へ。 華陽が病のみを案じ煩ひ玉ひ、侍

耆婆、華陽が脈を診す図 [耆婆、華陽が脈を診す図[参文A]

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女、酒宴を勧めまいらすれども、さらに興じ玉わざりし。
耆婆診察[耆婆、華陽の脈を診す図]

 ここに耆婆(ぎば)とて数代の名医あり。其の以前は賢学候大医統正(けんがくこうたいいとうせい)なりしがいささかの過失あって今は官を解き居たり。
然りといへども博学名誉にして天下其の術を奇とす。
太子これを召し出され、華陽の病気を伺わせられける。
耆婆やがて出仕して脈を診し、考へて大いに驚き思へども、左あらぬ体にて其の座を退き、別殿に至りて太子に謁し、人を遠ざけて密かに言上しけるは、
「華陽夫人の脈を窺ふ所、心得がたきはまさに人間の脈にあらず。其の生、一旦には究めて是とさしかたけれ共、多分は野狐の類なるべし。はやく御側を遠ざけられて然るべし。おそれながら君の御ためと存言上する所、之」
と憚りなく述べければ、太子是を聞こし召し
「汝が詞(ことば)、頗る粗末ならん。人を見て畜類とすること、いかなる名医たりともなんぞ脈をもって分かつべき。是まで余多(あまた)の医師、脈を試みたれ共、かかることを説かず、汝壷人かく演じるは確かなる印を見定めてのことなるや。其の証拠はいかに」
と怒りを含みて宣ひけるに、耆婆、少しも動ぜす、
「尊命のおもむき恐れ入りて受け給り奉れど、某、数代医を業として何ぞ脈をくわしくせざるべきの、殊更代々君の禄を食み、恩を蒙る身をもって忠を思わざるべき人間の脈は、寸間尺の動あって大体呼吸一息の中に幾動を定めて平とし、病に犯されて遅緩急緊(ちかんきゅうきん)あり。畜類の豚とは大いに異なり」
と、其の一

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一具(つぶさ)に弁じ、明らかに論じければ、太子は御心のうち、
「是も鷓岳叉の謀事にて、華陽を手に入れんと、兼ねて耆婆に示し合わせしものなからん」
と疑ひ給ふて怒りましませ共、医家の脈論難じ玉はん。御詞もあらざれば、
「難事はやく退き去れ。追って沙汰に及ぶべし」
と云い捨て、不興気に奥の殿に入り玉ひけるが、華陽の病間に至らせ玉ひ、
「今日、耆婆汝が豚を診(しん)してのち、ひそかに我に対してかようように説き聞かせりよって、汝は畜生の変化ならんと思ふ、之」
と戯れ玉へば、華陽は心中大いに驚き思へども何気なき体にもてなし、興の覚めたる顔色にて涙をはらはらと流し、怒りをあらわし、
「扨々(さてさて)にくき鹿医めが詞かな、是全くの恋の意趣ばらしこところ存知そうらへ、子細あらまし御聴き入れ候はん、彼元より妾を見ぬ。恋に焦げるるよし、たびたび艶書を送るといへども彼らごときに何ぞ心の傾くべき不埒を叱り、向後(きゅうこう)かならず無礼をなすことなかれ。送る所の艶書をもって君に訴へ奉るべけれども、情けを以って返し与える之。君に対し、不忠不義大恩を蒙る、君の愛させ給ふ妾に贈れる艶書の文章の艶めかしきに惑うて、妾が心動きなば身を汚させて本意と思ふや、是すなはち人面獣心なるべし、と悉く辱しめ遣はせしを、彼奇怪のことに怨みを報はんため今日を幸ひ妾をさして畜生といいひし。たとへ畜生なればとて君の寵(ちょう)し玉ふを知りながら、君に対し奉りても、斯くは云い難からんに、君臣の

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礼儀をも知らざる愚昧の空気者(うつけもの)もし彼が詞を信じ妾を退かせ玉ひなば捕らへておのれが慰みものとせんと計る不届き者。返す返すも憎き雑言かな。女の身こそ是非なけれ、男子の身にもあるならばすべき様もあらんものを」
と涙と共に伏しまろび泣きしづむありさまを御覧じ、班足太子はかかることも知り賜わず、唯、 鷓岳叉を疑ひ賜ひしに耆婆が始末を聞こし召して是を誠となし賜ひ、たちまち憤怒の形相あらはれ、悪鬼羅刹のごとく、
「腐医何ぞたわ言を聞いて我を惑わし接愛の夫人を畜類なりと辱め除かすべしとの謀略虚言をもって脈を論じ上を欺く不忠者。此のままに捨て置かれんや。早々彼を召し寄せて明らかに罪を数えて誅戮せしむべし」
と宣ふにぞ華陽夫人は心のうち太子を誑(たぶら)かしあふせたりと密かに喜び、涙と共に諌め奉るは
「君のお怒りはさることながら、今彼を誅し賜るは妾が勧め奉りしと大臣三輩疑ひを生じ、再び諫言なし又もや妾を預からんと申さんは必定なり。其の上、君の妾に愛て医を誅し賜ひしとの議論をうけ賜ん。君の御怒り甚だしきを見ては、もしや君に暫しもはなれられることの出来るべきかと悲しさいやまさり心憂くこそある之。妾が病とても治し難きにあらず。遠からずして、本腹すべければ其の節耆婆を召させられ、妾と問答をすることを免し賜はば、彼が贈りし艶書の不義をあらはし診脈なして畜生なり

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と悪名付けしことも咎め糾(ただ)し医論脈論は妾が覚えし限りを弁ぜんに正しきをもって邪まに対するに、彼何とか答ふべき其の時、君彼が虚言の罪を明らかに称えて誅をくわへ玉はば誰あってか君を非道といふべきや。然らば妾を謗るものもあるべからず元より耆婆が妄言なれば一言のこたへをなすこと叶ふべきや」
と、おのが悪意をおしかくし理害詳らかに述べければ、太子はことに感じ玉ひ、
「あっぱれ長(おとな)しき心よ」
と褒めさせ給ひ、是よりひとしほ華陽が媚に魂ひを奪われ玉ひける。かくて諸官に命あって耆婆、太子へ密告言上の次第あるの所追って御沙汰あるまでは門戸を閉じて慎み在るべし、と急度(きっと)命を受け給わり、その旨を達しけるにぞ、耆婆は
「身にとりてあやまちの覚えかつてなけれども、君の厳命たれば下として背くべきにあらず。」
心ならずも門戸をさし固め、逼塞(ひっそく)して居たりしかば、諸人も不審をなし名医耆婆、いかなる過失をなせしぞと町々に評議せり。
 扨も三人の大臣は棄叉が忠死をあわれみ、且つは太子の御身持ちを歎きよりよりうち寄って密談しけるは華陽夫人を預からんことを願へども、容易に了承し給わざれば、この上は謀事をもって太子を賺(すか)し押して、華陽を離し遠ざけん。其の手衛(てだし)に及ぶ所に、間もなく病に臥しければ、しばらく快気の時を待って事をなし一には国家の為二には棄叉が幽魂をも慰せんものとおのおの心に秘めたりけり。
耆婆、門を閉じ慎むの図 [耆婆、門を閉じ慎むの図[参文A]


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