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華陽夫人『和漢百物語』月岡芳年

(06)悪狐天竺に至る #鶴氅裘(かくしょうい)の由来



 ここに唐土の西に去って印度と云う国あり。
頗(すこぶ)る大国にして天竺と呼ぶものこれなり。五つに分かって中(ちゅう)天竺、東(とう)天竺、西(さい)天竺、南(なん)天竺、北(ほく)天竺といふ。
乾坤開闢せしは唐土にかはることなしといへども仏説によれば、印度に初めて生れ出る仏を毘婆尸仏(びばしぶつ)と稱(しとう[しょう=称])す。過去七仏の世を経てはるかの後世に

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5ツに分かれ、おのおの国王あって、その国を治むるとかや。
其の南天竺。耶端国(やかつこく)の帝・屯天沙朗(じゅんてんしゃら)大王といいけるは、聖の道をこの身正しく政事を執り行ひ玉ひ、万民を慈しみ安撫し玉ふ。朝廷、万機の政事をうけ玉る大臣・棄叉・雄明君・孫晏・鶴岳叉(きしゃ・ゆうめいくん・そんあん・しゃがくしゃ)の四人、おのおの正直に忠節を励み、補佐しける。国王御年老いさせ玉へば、政務も大方四人にて決断し、国家おだやかに動かぬ御世を祝し奉る。
 御子・班足太子(はんそくたいし)も、御父大王にひとしく聡明英智にましまし、仁心ふかく諸臣をあわれみ、衆庶を恵み、慈悲を施し、御年長(たけ)させたまふによって、群臣議していいけるは
「太子仁孝にして御父・大王につたへたまひ。
下を憐れみ玉ふ御心深く、篤実にましませば、御父の大位を譲らせ玉ふことくるしかるまじ」
と申し上げるにぞ、大王御悦び、かつて遠からず其の旨に任せらるべきよしにて、大臣の面々取り斗(はから)ふ。万機も太子に窺ひ、御父大王も叡慮(えいりょ)を安んじ、班足太子に朝政を委ねさせ玉ひ。吉日をえらびて譲位の礼を行わるべきに定まりける。

『班足太子、篳篥』『班足太子、篳篥(ひちりき)を吹き賜ふ図』[参文A]

 然るに太子は文学を好み、其の余力、管弦に御心をうつさせ、篳篥(ひちりき)をもてあそび、明け暮れに捨て玉わざりしが、つひに其の妙を究め、これを吹かせ玉ふに玄妙の至る所にや。空を翔る飛鳥も羽をとどめて地に降り、梁(うつばり)[屋根の梁]の塵も飛ぶかや聞こへけるいわんや。人は猶更妙音に神の心をすまし、厭意を忘れ、余念のある者なかりし之。
 比しも秋の末なりしに、班足太

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子、長英館といへる楼閣に昇りて眺望し玉ふに、庭前の紅葉錦を染めなし、冬枯れ近き野辺の尾花も飛散し、木々の葉末も色かえて、遠近のやまやまも景色増さりていわん方なく、傍らに侍従する側近の諸臣も共にながめて、詩連句に興を述べつつ慰め奉りけるが、良しあって班足太子、高楼(たかどの)の欄干によらせ玉ひ、諸臣に管弦をもよほすべしと仰せになり、太子はみづから篳篥を取って吹き玉ひけるにぞ、扈従(こじゅう)[付き従うしもべ]の諸官、冠を傾け、感嘆す。

『官、美婦人尋ねる図』『官、美婦人尋ねる図』[参文A]

 しかるに、此の篳篥の妙なる音にしたがひて、遥か向ふの樹木茂り紅葉なせし方にあたり、調子に合わせ、いと麗しき声にてうたふ唱歌さだかにこそあらね、妙にやさしく聞こへければ、太子も不審はれやらず。管弦終わりて、楼閣の其のむかふの方をおしひらき、心をつくして妙なる音色を吹き玉へば、猶も高々とうたふ声。微妙にして婦人に紛れなく聞こへけるにぞ、太子は
「声をしるべに、むかふのしげりたる紅葉の森のあたりをさがし見よ。いかなる婦人にあるやらん」
と、扈従近侍に命じ玉ひとどめず、篳篥を吹かせ玉ふに、彼処にも絶えず唄ふ声をしたひ尋ねもとめけるところに、一人の美女を見付しかば、しかじかのよし、いひ聞かせ、ともなひ来たり。かくと奏しければ
「くるしからず、はやばや是へつれ参るべし」
と仰(おおせ)によって楼の上につれ出でけるを見てあれば、容顔美麗にして、なににたとへん。楊柳(ようりゅう)の姿、嬋娟(せんけん)[たおやかでうつくしい」として、華の艶色、丹花の唇あてやかに、

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芙蓉の目尻こぼるる、愛嬌玉の簪(かんざし)を戴き、鶴氅裘(かくしょうい=鶴翔衣)[白地にふちの黒い中国式の被布]を着し、32骨の扇を携へ、静々と歩み来て座につき、会釈して平伏したる。
粧(よそほ)ひは凡人とも思われず、天女の天下りしか、菩薩の影向し玉へるかと怪しまれける。よくよく此の婦人の着せし鶴氅裘といへる薄物は鶴の毛をもって織りなしたる物。之其の来由を尋ぬれば、
『農夫、鶴に訝る図』『農夫、鶴に訝(いぶか)る図』[参文A]

「むかし唐土のことかとよ。
 或る郷里に農夫壷人の老母につかへて孝行をつくし、朝にはとく起きて食物を調へて母に奉り、其の外諸事不自由のなきように取りまかなひて、野に出ては農業をつとめ、昼にもなればはやく我が家に立ち帰り、又やしなひの手当てを為して出て行き、晩も同じく遅からぬやうに帰り、夜は夜とともに按摩して心を尽くし、母の養育に寝食を忘るるばかり。まだ年若き男のやさしき心ばへ、見る人聴く人、其の至孝(しこう)を感じける。
 ある時、田に出て耕しけるに折節、一羽の大鶴飛び来て、農夫が前に下り、羽を休めて飛び去りもせでありけるにぞ、不思議におもひ、すべて鳥類、人を見ては驚き恐れ、逃げ去るものなるに、いかなれば此の鶴たじろぎもせず、とどまり居るは、いわれあるべきことなり。と、かの鶴の前へ近寄るにさらにおどろく気色なければ、やがて、かの鶴をとらへけり。ここかしこよくよく見るに、羽がひの下に一筋の矢を帯びてありける。さればこそと、農夫は是をいたわり、矢を抜き捨てて、跡に懐中したりし傷の薬を付けて放ち遣りけ

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れば、鶴は悦ぶ体をなし、雲居ははるかに羽をのして跡ふり返りふり返り、いづくともなく飛び去りたり。さう鳥、懐に入る時は狩人も是を獲らず。と言うことを思ひいでて、農夫はなおなお快くおもふて、農業をおわりて我家へ帰り、いつものごとく母に仕へけり。
 其の後また農業に出て昼帰りせしに、窈窕(ようちょう)たる女性、我家に来たり。何やらん母と物語して居けるが、いかにも下(しも)さまの姿にあらずかくやんで、となの上?(じょうろう)[うわぎ]のかかるいぶせき埴生へ尋ね来たらんやうなし。と、いぶかしく思ひて老母に問うて申し上げるは、
「かの女性はは誰人にて、何の事ありてう来たり玉へるやらん」
と。母こたえて、
「汝にいまだ婦妻なし、歳若なるに正直第一にして家業出情し、しかも孝行なるを感じ、妻女になしくれよと来ての頼みなれども、汝が心いかがあらんや。我、はかることあたわずして先程より帰り来たるを待たせまいらす。汝の心に任すべし」
と、委細かたり聞かせれば農夫いわく、
「我かかる賤しき身にて何に望むべきぞ。去りながら世の常ならざる女性などかかる貧しき家に来たりて、末とげられんは覚束なきことこそ」
といふにぞ母聞いて
「さればとて我もさやう存ずればこの住居と見られても貧しきを察せらるべし。見ちけし所、容儀といひ何不足あらざるやうす。定めてよしある女性なるべきを、か

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『鶴女に化けし農夫に婚儀を求める図』『鶴女に化けし農夫に婚儀を求める図』[参文A]

くまでにはあらじ」
と思ひよらざりしうき、
「艱難(かんなん)をかけんも本意なし。あまた富家(ぶか)もあるべきに苦のなからん方に縁を組まれば然るべしこと。最前(さいぜん)よりもかへすがへすさとし参らすれども、かかる事をば何か厭(いとは)ん。富貴は浮かべる雲の如し。是を実の楽しみとそふべけんや、清貧をたのしむこそ心いさ?よきことなれ。死生命あり、富貴店にあり、福をうらやみ、貧をうらむはいたって愚かなるべし」
と、心の悟り、明らかなる言葉に因って、かく迄我が子の汝を賞美せらるること母の身にとってのうれしさ、何にたとふべき。
「兎角汝が帰りを待ち給へ。つぶさに語り聞かすべし」
と、暫く留め置きまいらせたり。復数なく汝が心を定め。」
母の言葉によかれと農夫がいわく
「然る上は我に何か所存のあるべき、母の御心に任せ給へ」
との答えに母は限りなく悦び、ついに母子熟談して其まま婦人をとどめ、妻となし夫婦仲むつまじく、和(あひ)ともに母に仕へ、孝行怠りなく、いと念此(懇ろ)になしければ、母は申すにおよばず、近隣までも能(よき)妻を迎へけるものかな、と云いあへり。
 ある時かの妻、夫にむかひ言いけるは、
「母、すへ[末]貧しきを苦労し、気をいため給ふを見ること心苦しくそうら[候]へ。我が覚えしことのそうらはば、一疋の絹を織り侍(はべ)らん。たた是を官府へ持ち行きて帝王にささげば値千金を給わるべし。然らばすみやかに此の貧窮を免れ、母人も安楽ならん。早く織殿をしつらひ玉れ」
と勧めけるにぞ早速織家を造りければ、妻又云いけるは、
「我みずか

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『鶴氅裘献じて千金を賜る図』『鶴氅裘(かくしょうい)献じて千金を賜る図』[参文A]

ら機を織る間、四方をさしかためかならず内を見たまふことなかれ。人見れば織絹成就することなし」
と念此(ねんごろ)に告げ置きて、婦人はいかの家に入りしづかに機を織りかかり、日を経て織り上げたるをもち出て母丈人に見せけるに、其の白きこと雪のごとく、いとこまやかに綾織てうつくしきこと並ぶべきものなし。光沢と云い、地組みと云い、終(つい)に見たる事もなき織物なりけるゆへ
「何と名付けるや」
と問へば妻女こたへて、
「是いまだ天下にひろまらざる無二の品なれば名もあらず。実(まこと)に是はみずからの工夫をもって織り成す所なり。たずさへ至って官府へささげ玉はば、容易く千金を得玉ふべし。去りながら官府において名を何と称ふるやと尋ねあらんにしれずとも、申し上げられまじなれば、鶴氅裘(かくしょうい)といひ玉へ」
と教えて夫を以って公にささげさせければ、
「果たして珍しき織物なれば、朝廷の御用にも立つべきもの之と。官府におさまり償(あたい)として千金を下し玉わり、帰って母にも妻にも斯く」
と告げれば、母の喜び大方ならず。ひとしほ嫁を寵愛しけり。さればたちまち富家となりて栄へけるが、夫の心に思ひけるは、妻の織れる所の絹いかにしても珍しき品なれば、我も一匹を織らせ家に伝えて宝とせんものと。或る時妻に今一疋を頼みけるに、心安くうけあひ、以前の如く人の見ることを禁じて織殿に入り、機にかかるしかるに夫は
「いかにしてか千金の償となる絹をば織り成すにや」と不思議に思ふにより

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疑ひを生じ、織殿の隙間を見廻り、ここぞよしと息をこらして密かにうかがひければ、こはいかに。妻にはあらで、白き鶴の大なるが、羽を広げ機にむかひて羽ばたきしければ、雪に等しき白毛飛んで絹となる。「こは不審(いぶかし)」と益々見入れしを、内には是を悟りけるにや。鶴大いに驚き、怒りたる体にて羽を打ち開き、織かけたる絹も微塵になし、高き窓を羽にて砕き、雲居はるかに飛び去りしかば、夫は本意なくよしなき心を生じて、鶴の失意をもってかく家富栄しものを、と悔やめども、今更すべきやうこそなかりし。織殿に鶴の毛飛び散って、さながら雪の降りしにひとしく。後世の詩句にも

雪鵞毛似飛散乱人鶴?被立徘徊

と賦したるも、かかる例(ため)しを引きたる。之扨かの鶴氅裘をみて織物の女巧みに命ぜられ、知慮工夫を凝らして写し織らしめて世に弘(ひろ)まれる之。
是を裁ち縫いなしに服として鶴氅裘とは名付けしかや。


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