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武王武王

(05)周の武王、殷を伐って亡ぼす #太公望妖狐を斬らしむ



周の武王、殷を討ち亡ぼすの図[参文A]

 周の武王、殷の紂王を伐んとて城南の郊野(こうや)に御車を促され、大いに天地をまつり、太公望を拝し東征の大軍師として軍事を統べ司らしめ、辛甲尹逸祁宏太顛閣沃南宮括(しんかしいんいつきこうたいてんかくようなんきゅうかつ)を始めとして、一騎当千の対象を従へ、御弟・姫旦【周公姫せき召公なり】二人をとどめて国を守護せしめ、御幼稚の御弟・姫叔度は御供に加え給ふ。
かくして岐州を打ち立ち童 (どう)かんに至り給へば、かねて雲中子仙人約せしごとく、雷震と此処に待たしめ、武王を始めて拝し、太公望についてしかじかのわけを申し上げるにぞ、武王仰せけるは
「西伯の拾い取りし児は、親しく我が弟とて将の列に加えて愛恋し給ふにぞ殷の都に至る迄もしばしば戦功をあらわしけり。」
扨(さて)も衆軍勇み進んで武王の御駕籠洛陽に至る所に、二人の兄弟道

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の傍らに拝伏するものあり。武王、
「誰ぞ」
と問わしめ給ふに、伯夷叔斎(はくいしくせい)というもの也。今紂王無道也といへども、君也下として君を弑せんと義にあらず、我もと殷に非道を避けて西伯の徳をしたひ此の地にかくる。然るに今君兵を引いて殷を攻め給ふと聞いて一言の諫めを奉らんため、死を冒しここに及べり。 願わくは御車をかへされ、御父西伯候の盛徳を汚し給ふことなかれと。左右大いに怒って我が君の御駕籠をささへ、無礼をなす曲者絡め捕らんと閲(ひし)くを太公望、
「是義人之、」
と助け去らしめける。其の後、周の天下となりしに、
「殷の民として周の粟を食うは義にあらず」、
と言って兄弟首陽山に引き籠もり、蕨を採りて食らひしが、ある人難じて
「普天の下、周の有にあらざるはなし。首陽の蕨も周に生えずる所に非ずや」
と云いければ、兄弟終に餓えて死しけり。古今稀有の義士とかや。
 扨も殷の都には、此の度武王の大軍岐州を発してより風の矢を送る如く、水の砂を衝くがごとく軍を斬り、将を捕らへ、道すがらの府城ことごとく攻め落とし、はや孟津河を渡れり、と注進の哨馬、櫛の歯を挽くが如し。諸臣眉を焼くの思ひ[ひじょうにせっぱつまって]をなし、紂王に奏し、軍勢を出し防がんと思へども、紂王唯妲己を愛して淫酒を事とし、昼夜楽しみに耽り、耳にも入り給わず、佞臣は費仲(ひちゅう)をはじめ隠して奏せず。

費仲費仲
忠臣諌れば害せらるるゆへ、不忠不義ならざるも止むことを得ず落ち失せ、或いは周へ降参し、残り留まる勢いあれども指揮すべき将なく、薄氷を踏む危うさ、い

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わん方なき有様。之、既に国々の諸侯招かざるに武王の軍に会し、大軍殷の都に攻め近付くに及んで、漸く費仲、紂王に奏して鐘十才・史元格・姚文亮・劉公遠・趙公明(ちょうじさい・しげんかく・ようぶんりょう・りゅうこうおん・ちょうこうめい)の五将、武勇勝れたるを出して防ぎしむるに、紂王はひたすら妲己が笑顔に御心を奪われ、軍事を心とし給わず、此の五将も忽ち太公望の謀に陥って、悉く戦死し、今は都に攻め入るゆへ、紂王も驚いて崇慶彪(そうおうひょう)を総大将とし、彭挙彭・矯彭執・薛延陀・申屠豹(ぼうきょぼう・けちょうしつ・ぜつえんだ・ぶんとこう)を副将として防ぎ、戦はしむるに武王の戦強くして終に敵すること叶わず、妲己術を以って呪文を唱えれば、悪鬼魔王ことごとくあらわれ出で、雲を呼び風を起こし、霧霞をたなびかせて四方をも覆ひ、白昼を闇となし大雨を降らし、石砂を飛ばしふせぐといへども、太公望、元より其の顔を知れば口のうちに呪文を唱へ、一々是を消滅せしむ。殷の大軍に敗れ、紂王自ら牧野に戦ひ給ひしに、今は叶わずして城中に引き入り給ひけるが武王の大軍潮の沸く如くかさみ来て身を遁るること能はず。
宮殿に火を放って焼きて、其の隙にみずから鹿台に昇り、宝玉を身に纏ひ、火の中に飛入りて崩じ給ふ。
成湯王(やいとうおう)、姓は子、名は履、字は天乙黄帝(てんいつこうてい)の孫にして、夏の桀王を亡ぼし、位に就き、殷の天下を興し給ひしより今644年二十八代紂王に至って亡びけるこそ是非なけれ。
 斯くて太公望、下知を伝え、佞臣・費仲・妖妃妲己を取り逃がすことなかれと摘星楼に訪ね入る時、妲己一陣の怪風を起こし、走り去らんとする所に先の

紂王、鹿台に焼死し賜ふの図[参文A]

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妲己が斬り、費仲が刑す図妲己が斬り、費仲が刑す図
妲己が斬り、費仲が刑す図[参文A]

太子・殷郊(いんこう)は、紂王の后の御腹に誕生しけるに、后は妲己の奸計によって紂王に殺され、其の身は流されけるゆへ、今、武王に降りて軍に従ひ居けるが、妲己は母の仇なればかけ来たりて斬らんとす。妲己、金光燦爛とし、冷風人に迫りけるを、雷震もろともに飛び付いて是を捕らへ、費仲を生け捕りて、供に太公望が下知をまつ所に
「紂王の暴悪みな妲己が仕業也。軽々しく誅(ちゅう)すべきにあらず。城外の市に出し、諸人に見せしめ、明らかに刑すべし、」
と指揮しけるぞ。かしこに引き据え、斬者(ひときり)、妲己が後ろに立ち廻って剣を振り上げ、首を打たんとせしに、振り返り太刀取りを見て笑みし顔ばせ、何にたとえん。
容色海棠の露を帯、楊柳(ようりゅう)の春風にたわむ粧(よそほ)ひなるを見て、心もそぞろに恍惚と気を奪われ、切らんとも為さずして、茫然たる風情。
「何卒助け得させん」
と猶予しければ、太公望、
「何ゆへ早く斬らざる」
と罵る声に驚き、又剣をふりかざせば、妲己再び振り返り笑って見せれば持剣討(たちとりうつ)ことあたわず。
茫然たる故、太公望、大いに怒って即座に斬者を刑し、別の斬者を代らしむれば、畏まって立ちかかるに是も同じく、妲己が容貌の麗しきに愛でてかかる美女天が下に亦あるべからず。
「むざんに討つにはあらじ」
とためらふゆへ、太公望亦其の斬者を刑す。かくの如くすると、三度なれども皆打ち得ず、却ってみづから戮(りく)を受けててにおいて、太公望いわんともすること能ず。
やがて雲中子が伝えし照魔鏡を錦の棗(フクロ)より取

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出し、
「かつて妲己は妖怪なりと聞き、是を以って其の本相をあらわし、誅すべし。」
と彼の名鏡を妲己が面にさし当れば、不思議や、今まで美しかりける妲己が姿、金毛白面九尾の狐と変わり、鏡の面にうつるとみへしが、妲己、慌て驚き、巽に向かって一息啼くとひとしく、俄かに黒雲起こり魔風吹き来たり、霧立ちおほひ、忽ち暗闇となり、砂石を飛ばし、九尾の狐と変じ、雲を招きて打ち乗り逃げ去らんとする所を、太公望声を励まし
「誰か此の妖狐を斬らん」
と叫べば、殷郊飛びかかって、宝剣を以って雲を目当てに投げ付るにあやまたず、狐に当り、大地へどうと落ちたり。しかば、其の積雲おさまり空はれ風もやみ霧も消えて、天日きらきらと照り輝く。落ちし狐は、雷震飛び掛って切って三截となす。
さてまた費仲は、君を惑わし国を亡ぼす賊臣なればとて、臍(へそ)を燃やして焼き殺しける。
実に太公望あらずんば、いかで此の悪狐退治の功あらん。天晴れ名誉なりと感ぜぬ人にそなかりける。
太公望、猶も
「下知してかかる妖物は、死しても其の霊、祟りをなすことあり。」
と狐の屍を瓶に納め、能々括りて是を鎮むべき地を求むるに、ここに夏の桀王のときのことなりし褒城(ほうじょう)に神人あり化して二つの龍となり、宮廷に降りて桀王に云いけるは
「我は褒城の二君之と桀王恐れて是を殺し玉ふに、龍泡を吐くこと夥しく、其の精気を箱に納め置かれしに殷の世にかかる怪物を宮中に貯ふべきにあらずと郊野に是をてこながら埋め其の地を記し、後代までひらきあばくことを戒め給ひ

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し。」其の地の傍らを穿つこと一丈あまりにして瓶を合わせ、埋め土をよく覆ひ、石にて上を固め、しかも其の所に一堆(たい)の碑を建て、太公望みづから一行の銘を書して是を彫刻せる。其の句に曰く

丁未五回 壷括自解 八九之後 幽室竟乱

 殷の亡びしは、日本地神第5代日子波限建鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズのみこと)の即位より83万5580年丁未(かのとひつじ) 年の、狐の星霜を経しこと、ここに亡びしまで凡そ800億235万6512年の余りを超えたり。
武王殷を亡ぼし帝位に就かせ給ひ、国を周とあらため鎬(かう)に都を建て給ふ。
扨も此の度大いに諸侯を封じ給ふに、太公望の軍功大ひなれば、齊(せい)の国を賜り、候となし玉ふ。
ここにおいて太公望は錦繍(きんしゅう)を身にまとひ驢馬の車に乗って大勢の臣下にかしづかれ、国に入る。
此の時、至って別れ去りし妻の馬氏先、非を悔やむこと限りなく、途中に出て車の前へ拝伏し、 「罪をゆるしふたたび妻となし玉れ、」
と歎きければ、太公望、車の内に?布(?きん)を頂き手に羽扇を携へ、悠然と座し、にっこり笑って曰く、
「我今年八十に及び、出世の時来たれり。是我が釣り針を曲げず、餌を設けずして齊の国千里四方の地を釣り得しに及んで、汝が願い、尤も之器に水を盛り来るべし、」
と言いければ馬氏其のゆへをしらず畏まって取り来る。やがて其の水を地にこぼさせ、
「此の水元の如く、器に入らば我ふたたび元の夫婦の語らひなすべし」と云い捨て、徐々と車を

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推させて齊の国に入りける。是を「覆水再び盆に返らず」とは云いける。之されば婦人、貧しければとてかならずしも賤しむべきことにあらずとなん。
 扨も金毛白面九尾の狐、一旦害せらるるといへども猶その魂魄残りて一個の狐となり、ふたたび仇をなさんとすれども、当時周の武王、聖人にして群臣又賢良多く、万機の政事廉直厳重、一点のすきまあらず。
万民を撫育(ぶいく)し玉ふこと御父文王【西伯なり】に替ることなかりければ殷の世に引きかへて天下安穏に治まり、諸人其の業をつとめ、鼓腹して生を楽しみ、万々歳を唱えて祝し奉る。
武王天子の位に即玉ひて年の乙酉、御歳93にて崩じ玉ふ。太子名は誦、位に就いて成王と称す。 時に御叔父周公旦(しゅうこうたん)【武王の御弟】、聖人にして政道をたすけ、成王を導き玉ふゆえ、相続いて賢明の君にて能く国家を保んじ玉ふ。
是によって、悪狐窺うことのかなわざるにぞ、是より天竺に渡り、彼の国を妨げ、魔界となさんことを巧みける。

殷の妲己 北斎『殷の妲己』
妖狐を埋め碑を残し凱陣の図[参文A]


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