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子牙『呂子牙渭水に釣りす妻の馬氏魚篭の残り歎ふ』

(02)呂(ろ)子牙(しが)奇術、樵夫(きこり)の難を救ふ #西伯熊を夢見る



 去る程に西伯候は虎の口を遁(のが)れたる心地にて帰国し賜ひ、唯仁恵(じんけい)を施し、刑罰を動かさざれども、民おのずから善に勧み、偶々罪を犯すものあれば土にととのいて牢とし、木偶人(にんぎょう)を刻み獄吏とし賜ふ。皆、徳に伏して遁れ去るものなかりし。
 或る時、災祥(さいしょう=わるいこととよいこと)[世間]を観んために、城外に高きうてな[天蓋のある望楼]を築しめ賜ふに、夫役の百姓ども父母のために働く如く、日あらずして成就せしかば是を「霊台(れいだい)」と名付けられ、其の下に園を拓き、麋鹿鴻雁(びろくこうさん)[鹿や鳥々]を放ち、沼を掘りて鳥鼈(ぎょべつ)[魚や亀]の類を畜(かわ)しめて遊覧の備へ賜ふ。
其の結構いわん方なし。ここに諸臣を集めて酒宴を催し賜ひ、人夫に使われたる。
民へは金銀を賜りかかる。
「楽しみ

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を願ふ心は下民も替るをことあるべからず。
必ずしも下賤の衆民といへども此の所に遊ぶことを禁ずべからず。
我ひとり楽しむべき為にあらず」
と宜(のたま)へりかかる仁徳深き君ゆへ、天下学って慕ひ懐き、自然と威風盛んなる程に、諸臣も皆すすめて殷の都に討ち入り紂王を攻め殺し、七年の苦難、伯邑考の仇に報ひかつは蔓民(ばんみん)の愁いを救わんことを逃れども、西伯叱って、
「たとえ君、無道なりとも臣としては其の職を守らずんばあるべからず」
とかつて承引(しょういん)し賜わず、専(もっぱ)ら紂王を重んじ仕え給ふ。

子牙子牙=後の太公望
 ここに、又姓は姜名(きょうな)は尚(たやう)字(あざな)は子牙と云う人あり。
後周の世に太公望といい、是之夏の禹王の時四獄の笛裔(へうえい)にして、其の先祖・呂と云う所を領知せし地の名を以って「呂尚」といえり。今は殷の民たり。
此の人鬼神を役し雲を呼び雨を招くの奇術に達し、胸の智恵謀(ちぼう)大才を包むと雖も、時に偶(あわ)ず、仕えをも求めざれば年七十に過ぎて家貧しかりけるか。是も紂王の暴悪を見て
「君子は乱れたる。世に劣らず。」
と遂に家族を引きつれ、東海の浜辺に移り、漁猟をなして活計(すぎはひ)とせしが、西伯の仁政を聞いて祇州に移り、山奥深き磻渓(はんけい)と云う所に釣りを垂れて隠れ棲みけり。
其の妻・馬氏、夫の貧なるに苦しみ、離別せんことを願いければ、子牙答えて
「我八十に及はば、位諸侯(くらい、しょこう)に登るべし。今暫く貧を守らば富貴眼前に在るべし」
と。又ある日釣りする所へ昼の鰈(かれい)を持って来て、馬氏密かに魚篭(びく)を窺ひみるに、一つの魚もなし。針を収めるに及んで是を見れば、直

呂子牙渭水に釣りす妻の馬氏魚篭の残り歎ふ図[参文A]

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なる針に餌も用いず、馬氏怒って
「我今まで時に逢ず貧を守るの人と思ひ居たりし愚かさよ。
今日此空気たる形勢(ありさま)を見て其の落ちぶれたる怪しむに足らざるを知れり。
餌を儲けず針を曲げずして何によって魚を得べき。困窮日にまし、餓死んこと旦夕に狭りながら百歳の齢をまつとも夢にだも立身を得べけんや」
と興さめてみへければ、子牙笑って
「是婦人の知るべきことにあらず。我が釣り魚を取りにあらず、王侯を釣らん為なれば、いかんぞ曲がれる針を用いん。我西北の方を見るに祥雲の端を現せり。
三年の内明王ここに至ることあらん。指を折て富貴を待たん」
とさまざま慰めけれども、
「妾早く故郷へ帰り老(おや)を養わんことを思ふのみ。何ぞ居ながら餓死するに増ざらん」
と袖をはらって去りけるゆへ望みに任せて留めざりけり。
子牙岐州に入し時、隠れ棲むべき所をわきまへざれば、一人の樵夫(きこり)に遇(あい)、地理を問たりしに、この磻渓の地を懇ろに教え示しけるにぞ、其の名を問へば「武吉」と答えけり。
然るに、一日いつもの如く磻渓に釣りして有りけるに、はからずもかの武吉尋ね来けるゆへ、其のまま釣りを止めて草の庵に伴ひ、「何によって来るらしや」と問えば、「我暇を得たれば此の辺に親しき友を訪ひし。序(つい)でながら、子が庵をも問ばやと来たれるよし。」
いふにぞ厚き心ざしを悦び、友に酒を酌んで語り合いけるが、子牙熟々(つらつら)と武吉が相を観て大いに驚き、
「汝の相甚だ凶(あし)し」
といふ。
武吉の、いかなる凶事をつかさとるや委しく示されよ。とあれば

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牙のいうやう、「他人を傷つけるに非ずんば必ず他人に傷つけられん。黒気天庭を障(ささえ)て其の兆し明白に現れたり。」
と武吉聞いて、
「われ死すとも惜しげに足じ。しかし家に老いたる母在って他に養ふべき者なし。公、いかなる術有ってか吾が為に是を図り玉らんや。」
子牙笑って
「死生と禍福とは皆天に係れり。人の力を以って遷(そっ)し改むることならず。然れ共、汝もし事の変に偶(あう)は再び来られよ。我何卒嘗(われ、なにとぞかつ)て是を救ふべし。」
武吉辞しわかれけるが、心のうち深く案じ、もの思う体なるを其の母怪しみ問へども、母の辛労せんことを恐れ、他の故を以ってして相のことを語らで打過ぎけるが、
ある日採樵(きこり)て城中に至り売りけるに、門番、銭を取(とら)んとす。武吉がいわく 「西伯の仁政、城門を守らしむるは非常に出入りを禁むる為にこそあれ、さらに商人の税を収めんことあらじ。まして我は柴を売りて僅かに身を保つ賤しき者なるを、汝いかなれば上に背き下を欺き銭を貪るや。」
門番怒って武吉を打たんとす。武吉ぜひなく斧を取って防ぎけるが、誤りて門番が眉間に当たって一撃ちに撃ち殺したり。

武吉岐州城の門番と争論の図[参文A]

城中驚いて兵士を遣わし、忽ち武吉を囲みて西伯に見ゆ。
西伯糾明し給ふに、武吉其の始末を訴ふ。西伯のたまはく、
「ああ是吾が教えのいまだ至らざるゆへ、汝を免し得さすべけれ共、人の一命は軽き非ざれば、死罪を宥め三年囚置くべし。」
と土牢に入らしめらる。武吉、衛の士に引き立てられ牢に至るに、其の門銷(とかす)ことなく監司も置かず唯木を以って刻み

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岐州の牢土にまる戟畫記木戟刻みて牢吏とする図[参文A]

たる人形あり。武吉怪しんで其の故を問えば、衛士こたへて
「西伯の徳政、縲絏(るいせつ[罪人を縛る縄])堅獄を用い玉ず。頑愚(おろか)なる民の教えにあたわざるものあれば、土にあがちて牢とし木を刻みて獄吏とす。罪人も其の徳義を募て脱去ることをせず」と。
武吉、「君の仁恵かくのごとし。我死すとも怨むる所なし。然れ共、一人老母あって養ふものなし。三年の間いかんがせん」
と涙を流して歎き悲しむにぞ。衛士憐れみて
「汝母あって兄弟もなくんば、我汝の母を殺すべけんや。」
とてふたたび武吉を召し出し
「汝家へ帰り、母を養ふべきの計事(はかりごと)を設け、又置き来て獄に(22)くべし。十日の内に来たらずんば、兵士を集めし絡め捕って死刑に行ふべし。」
と仰せければ、武吉は拝謝して家へ帰る時に、其の母は武吉が今日の始末を聞いて、涙沈み居ける所に帰り来たれるを怪しんで、
「汝いかがして家へ来ることを得たるや。」
武吉、西伯の仁徳を以って母に告げるに母は涙にむせびつつ云いけるは
「上の慈悲斯くのことくんば、汝は速やかに行て罪に即(つく)べし。」
武吉泣いて云やう、
「我囚れにつかば誰か老母を育まん。」
母のいわく
「我、織紡の業をなしても年月を過ごすべければ汝の心にかくること有べからず。早々行くべし。」
とあれども、武吉是に従わずして子牙が許に至って談すべし、と其の日磻渓に行きて子牙に対面し、身を保ずるのはかりごとを求めけるに、子牙のいわく、
「我先にもいへること

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く人間の死生は定まれる天の数あり。人の力をもって救うべからずといへ共、我汝の教えを蒙りて此処に居を安ず。我此の恵みに報いずんば有べからず。」
ここにひとつの術ありとて、石室の中に置いていっこの壇をかまへ、武吉が年を尋ね丈に応じて草を束ねて人形を造り中に置き、五星二十八宿を其の方位に分かち布いて是を祀り、燈を灯し髪を乱し素足になり、壇に向かって密かにまじないを唱へ、口に清水を含んで其の燈明を吹き消し、西に方を望んで左の手を挙げひとたび招けば、俄かに黒雲起こり来る。
子牙奇術以って雲招き星隠す図[参文A]

やがて武吉が星辰を掩隠(おおいかく)して、かの人形を渭水に投げ入れ祭り挙げて武吉に告げて云けるは、
「汝暫く家に籠り七日が間出ることなかれ。此の度の難を免れるべし」
と武吉大いに悦び家に帰り慎み隠れる。
 すでに十日に至れ共、武吉来たらざれば、西伯怪しみ給ひける所に群臣みないわく、
「愚民重ね重ねに罪を犯すこと甚だ軽からず。兵士に命じ捉えて首を刎ね、後の禁めになすべし。」
と有りけるに西伯卦をもふけて宜(のたま)はく
「吾先天の数をのぶるに、武吉は河に投じて死せるならん其の象すでに没したり。なんぞ再び尋ね求めんに及んや」と。
然る所へ有司(やくにん)より訴えけるは
「渭水に流死の者ある故検分せしむる所、放ち遣る所の樵夫の罪人、乱杭にかかり死してありける由、言上せしかばさてこそとて事済みけり。
 かくて西伯、岐州に在(いまし)て、或る世の夢に一つの熊、東南の方より殿中に飛入り座の側らに立ったりしを群臣おのおの拝伏す、と見

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飛熊殿に入る図[参文A]

給ひて夢覚めけり。
 翌日夢をもって群臣に問ひ玉ふに、皆弁ずるものなかりしに、散宜生すすみ出でだして申しけるは、
「是、我が君賢人の相を得玉ふべき兆し。」
之西伯のたまはく、
汝何を以って知るや」
散宜生こたへて
「熊はもと冥獣なるに翼を生すること、其の賢知らぬべし。御座の側らに侍立して百官拝し伏するは是諸臣の上に立ちて君の左右に相たるもの。之東南より飛び入るは賢人まさにその方より出べし。君東南に劃して賢者を求め玉ふべし。」
西伯仰せけるは、
「夢寝のこと何ぞ深く信じるに足らんや。」
散宜生が曰く、
「昔殷に高宗は天神より良粥(よきはたけ)を給ふと夢見て、其の賢人の姿をきざしめ、普(あまね)く天下に求めて果たして伝説を得玉ひ、是を左右に相たらしめ、天下よく治まり、湯王の社(やしろ)良く、中頃衰えしを再興し玉へり。君何ぞ夢を軽んじて賢人を棄て玉ふべけんや。」
西伯宜はく、
「汝がしらぬにこと、尤も。」
之とて大いに喜び玉ひ、其の言葉に従りてやがて軍票を遣はし、九龍の車を引かしめ数十の武官を従へ行脚。すでに洛陽の渓の辺まで馳せ給ひける。

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