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(01)蘇妲己 殷の紂王を惑わし摘星楼に遊宴



二十八宿中国天文図・二十八宿

 夫(そ)れ太極の一理陰陽の両儀と別れてより。天あれば地あり、暑あれば寒あり、男あれば女あり、 善あれば悪あり、吉あれば凶あり。
されば乾坤開闢(けんこんかいびゃく)[天地の始まり]呂律(りょりつ)[物事の秩序]の気は清みて軽きは昇つて天となり、濁りて重きは降りて地と成り、中和の霊気大となれり。
大日本には國常立尊(くにとよだちのみこと)、唐土(もろこし)は盤古氏、天竺には毘婆尸佛(びたしぶつ)を人の始めとす。其の大気禽獣となる時に、不正の陰気凝って一箇の狐となるあり。開闢(かいびゃく)より以来、年数を経て終(つひ)に姿を変じ、全身金色に化して面は白く九ツの尾あり。名つけて白面金毛九尾の狐といへり。
白面金毛九尾の狐『白面金毛九尾の狐』

元来邪悪妖気の生ずる所ゆへ世の人民を殺し盡(つく)し魔界となさんとす。
是(これ)なん、釈迦に提婆(だいば)[釈迦仏の弟子であったが、後に違背したとされる人]の例え、善あれば悪あると云われ 之されども三国聖王賢王神明、相続いて国を治め給うがゆへ、問いを伺うとあたわざりし悪孤万遍奇異の術あって、唐土・殷の紂王の后・妲己と変じ、紂王を蕩(とろか)して国を滅ぼし、その後天竺に渡りて班足太子(はんそくたいし)の愛妃・華陽(かよう)夫人と号し、政道を(ひだ?)り、再び唐土に帰り、周の幽王の妃・褒姒(ほうじ)となり周室を傾け、其の後日本に来たり、玉藻前(たまものまえ)と現じ、鳥羽院(とばいん)の玉体に近寄り奉りしに、阿部康親の為に正体を顕され、那須野の原に隠れて人民を害するゆへ、三浦介上総の介(みうらのすけかずさのすけ)に勅(ちょく)[命を下]して

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紂王と蘇妲己紂王(ちゅうおう)と蘇妲己(そだっき)[参文A]

狩殺されしが、魂魄(こんぱく)残りて石となり、猶も世の人に仇をなし、鳥獣も此の毒石にあたり命を落とし、幾千万を知らず。
よって殺生石とは名付けたり。
 其の来由を尋ねるに、唐土・殷に紂王と①は湯王より28代の帝にして聡明、人に卓越、勇猛にまた智巧之天下己か智に及ぶものなしと思れけり。
大小八百余国の諸侯をしたがへ、政事(まつりごと)を施(ほどこ)し、万民(ばんみん)是を仰ぐ。
 ここに冀州(きしゅう)の候・蘇護(そご)に一人の娘あり。
名を寿羊(じゅよう)と云って年十六歳、容色勝れ、縫業管弦の道、文学筆墨の芸習い得ず、と云[うこと]なく世に並ぶものなく。
噂高く聞きえければ紂王、是にあこがれ給ひ、後宮に奉らんとを命じ給ふに、蘇護肯(うなずか)ずしていわく、
「天下に君[主]として色を好むは、国を亡(ほろぼ)すに萌(きざ)し也(なり)
我また何ぞ娘を以って、宮廷の妾となるべきや」
と是より貢物を絶って朝せず。
紂王怒って、西伯候姫昌(せいはくこうきしょう)【後周の文王と云はこれなり】に命じて征伐せしむ。
西伯、兵を向けたるに忍びず。
其の臣に散宣生(さんぎせい)と云うを使者として、
「蘇護に云れけるは無道なりといへ共、王命之何ぞ背きて眼前に冀国を失うことを好まるるや」
と理害を咎しめけるにぞ、是に伏して漸々了承し、自ら姫寿羊を送って朝せんと。
やがて母兄弟にも別れを告げ、涙に袖を振り切って都路の旅に赴き、恩州の旅宿に泊りを求める。 寿羊女は数十人の腰元に纏わりすれ、中堂に臥し。
外には守勤の武士、剣を帯し戟(げき[やり])を下げて非常を護りけるが、すでに半夜と思しき頃、一陣の怪しき風、戸の暇よりさっと吹きしが燭火

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妖狐、寿羊女を吸い殺すの図妖狐、寿羊女を吸い殺すの図[参文A]

国芳国芳・「三国妖狐伝」[東京都立図書館蔵]

ことごとく消えけり。婢妾のうちに一人、未だ寝ずして在りけるに、白面金毛九尾の狐、寿羊が寝たる床に近付くと、見しまま、短刀を抜いて斬り付けたれども速やかに蹴り殺され、狐はついに寿羊が精血を吸い尽くし、其の身殻に入りかわりて臥居けるをしるもの、さらになかりけり。
 夜明けて衆婢、蘇護に告げるは
「深更に邪気、人を襲いたりし。襟に氷を注ぐばかりぞっとせしが、燈火消えて何のあやもわからず」
と云にぞ驚いて、武士に命じ、彼方此方(かなたこなた)と吟味するに、戸ざしもかたく、怪しき体にもあらざ里しが、家の傍らなる池の辺の草むらに、一人の女、魅死せられてありけるにぞ大いに驚き、早々此処を出立けるが、我が娘のいつしか狐に魅死せられたるをしらざりけり。
扨(さて)も日数を経て都に至り、紂王に朝し、女(むすめ)をもって宮中に納けるにぞ、紂王悦んで蘇姫を召して見給ふに、顔(かんばせ)温潤にして玉を欺(あざむ)き、海棠(かいどう)の雨を帯、芙蓉(ふよう)の露を含めるごとく、黛(まゆずみ)青くして遠山の色を見せ、雲の鬢(びん)麗しく楊柳(やなぎ)の姿、羅綺(らき)[美しい衣服]にだも堪えざる粧(よそお)い、嬋娟窈窕(せんけんようちょう)[美しくしとやか]として百の媚ありければ限りなく愛でさせ給ひ。
蘇護には余多に金帛(きんびゃく)[美しい絹織物]を下され、お暇を玉りける。
紂王、是より寿羊女を寵愛し名を妲己(だっき)と改め、昼夜淫酒に耽り、政事を怠り、荒み給ふぞ。
百官諫め奉れども用い給ひず、師涓(しけん)とて音曲に妙たる伎者を近付け、歌舞に興を催し、師涓が勧めによって受仙宮(じゅせんぐう)を造り、妲己と供に此のうてな[天蓋のある楼=受仙宮]に宴し、王②にぞ終(つい)に。
 南山

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妖狐、寿羊女に成り代わるの図妖狐、寿羊女に成り代わるの図[参文A]
雲中子の図雲中子、照魔鏡を以って、殷の都に妖邪在るを知るの図[参文A]

の道士・雲中子(うんちゅうし)仙人、ある夜天文を見るに、冀州の分野より妖気立ち上るを怪しみ、照魔鏡を取ってうつし見れば、千歳の老狐の状(かたち)有りて殷の都にありければ、驚いていわく
「我此の邪狐を除かずんば、万民を害し終(つい)には国を滅ぼすべし。」
と、都に至って此の事を奏しけるに、太史令の官・杜元銑(とげんせん)も、
「帝城に妖気あるよし」を聞いて諫め奉りけるに。
 妲己は元より学問に勝れければ、紂王に奏しけるは、
「金屋良堂、何の祟りあらん。是 方士の邪術にて主上を惑わし奉る。之速やかに誅して後に禁(いまし)めに備(そなへ)給へ」と。
紂王、ついに此の言葉を信じ、杜元銑を斬らしめ、「再び不吉を唱えて諌める者あらば斯くのごとくならん」と。
詔あれば雲中子の言葉も用いられず、重ねて諌める者もなかりけり。
ここにおいて紂王、府庫に金銀を費やし、民の力を苦しめて、妲己が為に高さ十余丈のうてな(眺望台)を建て給ふ。
 玉の甍(いらか)、雲中に沖出でるかのごとく、是を「掴星楼(てきせいろう)」と名づけられ、妲己と此の楼に上がり佞幸(ぎこう)の諸臣を集め、大いに酒宴をひらき給ふ。
此れしも春の半ば、花味わい木々の梢を眼の下に眺め、遠くを眺めば山水の景物、霞の中にこまやかなり。媚び諂へる侍臣下をふし、文を綴り、万歳を祝す。柳の緑は砌(みぎり)を担(にな)ひ、梅が枝にまた鶯の声の麗しさよ。 酒盃を巡らすを数たび、嬪御(ひんぎょ・高貴な女性)に詔(あわせ)て管弦を催さしめ、興を添え給ひつつ、一首の詩を賦(ふ)し玉へる其の言葉よ。

緋花緑水浮(ひかりょくすいにうかび)
黄鶯高枝鳴(カッコウこうしになく)

p8-9
摘星楼遊宴紂王・妲己、摘星楼に遊宴の図[参文A]

興終不知足(興おわらず
萬年長若斯(まんねん長くかくのごとくわかし)
 妲己はやがて立って舞ひ、袖を反して一曲を奏でつつ、錦繍の裳(もそで)を乱せるさま、天人羽衣の曲も斯くやと感ぜぬものにぞなかりける。
其の頌歌に

楼邊黄鳥囀(ろうへんこうちょうさえずり)
紫白花満枝(しはくはなえだにみつ)
不浴雨露澤
滾香何及斯(ちょうこうなんでここにおよぶ)

帝、叡威(えいい)浅からず、いよいよ寵愛限りなくこ⑤聞こへける。

紂王孕み女の腹を裂く #西伯候を囚らへ伯邑考を醢(ししびしお・死体を塩漬けにする極刑)す


蟇盆図孕み女の腹を裂きて胎児の男女を殺し、女賊捕らえて蟇盆(たいぼん)に入るるの図[参文A]

 斯くして紂王は、蘇妲己の色に迷ひ、比翼の語らひ同穴の契り日に増して恩遇厚く、三千余人の後宮、一時に色なきことし。
正皇后は、東伯侯・姜桓楚(きょうくわんそ)の娘にて殷郊(いんこう)という太子を生み給ひしが、帝の妲己に迷い給ふを、諫め争ひ給ひしうへ、佞臣(ねいしん)・費仲(ひちゅう)に讒(さん)諫せられ、いよいよ紂王の怒り甚ださしく、高楼の上より投げ落とされ、頭砕け脳裂けて崩じ玉ふ。
太子をば遠く流されけり。
茲において費仲が勧めによって、妲己を立て皇后とし、又蜚簾(ひれん)費仲⑦人に命じて高台を造り、広く花園を開かしめ、三年を経て成就せしめしが、莫大の費、国中空虚となるがうへ、蔓民の苦しみ大方ならず。
 是を鹿台(ろくだい)と名づけ、其の下に池

p9-10
p12[孕み女の腹を裂き其の胎児の男女を占う]

を開き酒を湛え、一方には糟を畳みて丘とし、一方には肉を懸けて林とし、其の間に酒盛りを設けて楽しみをなし、是を「酒池肉林」と云う。
 妲己、又人を殺すことを好み、新たに刑罪の名目を作り、銅の柱を鋳(い)させ、内に炭火を熾(さか)んにし、 外に脂膏(あぶら)を塗り、裸にして此の柱を抱かするに、皮肉悉(かわにくことごと)く爛れ、骨砕けて忽ち灰となる。
是を抱落(ほうらく)の計と云う。
 又、穴を掘ると五寸余り其の穴の中に蛇百足蜂の類を貯(たぐは)ひ、女を捉(とら)へ、裸にして投げ入れれば、虫、皮肉(かわにく)を噛み砕いて其の苦しみいわんのことなし。
是を蔓盆(だいぼん)の刑と言い、帝と共に是を見て、手を打って笑ふ、其の顔桃李の春雨に浴するごとし。
帝、その笑ひを善(よみ)して人を殺して楽しみとし給ふぞ。
百官有司より下衆民に至るまで怒り恨むけれども恐れて言葉に結せず。
国家のいかならんと危ぶむしかり。
 之妲己、また胎生の男女を知る理を読みけるに、帝、實(まこと)とし給わず、
「然らば試みに孕み女の腹をひらきためし見給へ」
とすすむるにぞ、忽ち十余人の妊婦を捉へて、悉く其の腹を裂いて見るに、男女、妲己がさすところに違ふことなし。
二人ともに手を打って笑い楽しむ。
 かかる横行非道、日々に増長せし程に、今は天も怒り人も罵って、生きながら紂王と妲己が肉を喰らわんことを願うも、こと紂王の御父・帝乙に三人の子あり。
長子微子啓(びしけい)、次子を微中衍(びちゅうてん)と云う。
みな庶腹(わきばら)の子にして悉く賢者なり。
第三の御子名は受辛、是皇后の生み賜うところなる故、兄を超えて帝位を継ぎ、紂王これなり。
又王子・比干箕子(ひかんきし)などの賢臣みな

p9-11
紂王の親族たれば、深く愁へ、諸臣を率いて王に朝し、
「そもそも御先祖・湯王は聖人にして、夏に代わって国を興し給ふ。桀王の悪行、国を失へる鑑み遠きにあらず」
と諫めけるに、紂士、弁を持って非を飾り少も用ひ玉はさりけり。
西伯候も言葉を尽くし諫め給へば、妲己、王を勧めて是を囚へしむ。
 そもそも西伯候姫娼というは、其の先帝学に出でて后穉(こうしょく)より15代の孫。之、 伏犢(ふっさ)の八卦をおしひろめ給ふ聖人にして、岐州(きしゅう)に居給ひ、西方諸侯のつかさなるゆへ西伯という。
之臣下には太顛(たいてん),閎夭(こうよう),散宜生(さんぎせい)などの賢者多く、 百姓を憐れみ給ふと父母の子を思ふごとく、仁恵(じんけい)天下に聞こえ国富豊かなり。
 紂王、西伯を怒(いか)れ共、聖人なるを恐れて殺すに忍びず、獄に囚(とら)える。
 67年、西伯の長子・伯邑(はくゆう)考、嘆き悲しみ、都に至って現れけるは
「我が父西方に伯として諸侯、其の仁徳を評す。今大王の命に忤(さから)ふて囚(とらへ)らるるを 数年、父が苦しみを思ふて心に忍びず、願わくは臣が身をもって父が囚れにかわらしめ、 父を赦して国に帰らしめ給はば、広大の御恵み死すとも恨む所なし」
と歎き訴えけるにぞ、紂王、妲己に問ふて、
「是忠孝の士、之西伯をゆるし帰すべしや」
と宣(のたま)へば、妲己がいわく
「彼よく琴⑧弾(だん)ずと聞けり。妾、是を聞かんことを思ふ。試みに一曲を揉(かなで)しめ、其の後父を赦し給へ。」
とここにおいて琴を玉り、一曲を望み給へば、伯邑考謹んで御請①上げるは、
  「父母疾ある時は琴瑟(きんしつ)を御せずとかや。今臣が父囚われにあるをもってはるばる来て願い訴ふる

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ぞ劃(かく)がごとし、いかんぞ琴を弾じ得ん。」
 紂王のたまはく、
「皇后汝のが雅曲を聞かんことを望めり、辞せずんば父を放ち帰すべしと。今は辞退も父が為悪しかりなん」
と、止(やむ)ことを得ずして琴を引き寄せ曲を奏す其の言葉に諫る心をうたえり。

明君おこりて徳を敷き仁を行う。未だ聞かずその心に忍びて。重し剣煩う刑を。抱落熾(ほうらくさか)んにして肋骨砕け。蟇盆惨じて肺腑疼く。万民の精血以って潅酒池。百姓脂膏(あぶら)以って肉林懸ける。空あるに向かいて鹿台財満ちる。鎌鋤折(くじけ)て鉅橋粟盈。我願いしは明王讒言を去り、淫を遂に。綱紀振るい、天下和平にならんことを。

 妲己、聞き終わりて奏しけるは、
「この歌の芯時の政事を誹り、大王の非を誹れる。ことごとくこれすみやかに鉄を加え給ふべし」
と。 あざけるにぞ伯邑考、妲己が面に唾して罵りけるは
「汝妾が王を惑わして諸々に悪行をなし、我が父を苦しめ我をも又殺さんとす。我は死するにも君父のためおしむべき命ならず。惜しむべきは湯王より二十八代つぎ給ひし天下遠からずして何時のがために亡ぶべし。」
前なる琴を取って撃ちつくるに、妲己ははやくも身を避(たす)けて逃げ入りけり。
紂王大いに怒って武士に命じ、忽ち伯邑考を切殺さしむ。
時に妲己がいわく
「聖人の聞こえある西伯、その子を食らわしめて知るやいなやをた

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西伯姜里の囚獄に易卦を演じるの図[参文A]

めすべし」
 「伯邑考が肉を醢(ししびしお)に製し、彼に贈り与えもし、悟って食らわずんは是先智の聖人、之斬って免じたもう事なかれ。知らずして食らわば之常人、免して帰し給へ」
と。紂王其の言葉に従ひ、伯邑考が肉を醢となし、使者を羹里(いろり)の囚獄に遣はし、西伯に賜ひけり。
 西伯は、国を出るとき易を以って兼ねて7ヵ年の厄あることを知り給ふ。
ゆへ、たとへ都において我が身がいかようの変ある共、厄を終わるまでは?れる天数なれば驚くことなかれと深く戒め出玉ひけれど、伯邑考、終に父の艱難を聞くに忍びず都に至って 災いにかかりける。之此の時西伯囚(とらわ)れ在て、終日易卦を演(のべ)玉ふ。一日怪しき鳥来て庭に鳴きけるゆへ、奇(あや)しみ、卦をもふけ象(しょう)を考へ玉ふに、長子を損ずるの兆しなれば、是伯邑考、吾が罪を贖わんと都に来たり。
妲己の謀(はかりごと)にをとしいれられたるならん、と黙然と案じ居玉ふ所へ、紂王の使(つかひ)来たり、詔命(みことのり)を近づけるは少しきゆえをもって、数年蟄居せしむ。
今や近々に免して国に帰らしめんことを先ず一個の?を賜りて鬱積を癒しせしむる所。之と西伯是をうけて、我が子の肉なるを知れども、又是己を試むる謀事なるを察し玉ふにぞ、その醢を食らひ儘(つく)して恩を謝し、使ひをかえし玉ふよって、紂王ついに西伯を免し玉わん。
とある所へ岐州より美女十人、金帛をもって紂王に貢ぎ、是西伯の厄を終え玉ふ。
年月を量りて散宜生(さんぎせい)などの賢臣が計らふ所、之紂王大いに悦び、西伯を嬲りに召して汝西方の

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伯として徳政あり。此のゆへに殺すに忍びず、今とどむることすでに7年に及べば此の度帰国せしむる之、猶国政を誓って闘わざるを征伐せんこと、こころみの儘なるべし、と白旗黄鉾を賜ってゆけるにぞ、恩を謝して祇州に帰り、君臣始めて安堵の思ひをなす。
西伯は伯邑考のことを歎き悲しみ玉ふ。限りなくまずまず徳政を施し、国を豊かに治め玉ひけるに、殷の民は紂王の無道をうらみ怒り、みな祇州に走り入りて西伯に従ふもの日々おびただしく、ついに天下三分の二を保ち玉ひ、自然と勢い強大になり玉ひける。

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